その、すっかり忘れてしまったことらは、自分の中で満を持していたりする。それを思い出し、後押しするようなタイミングに気付くことから。
25日は父の命日だった。
2015年の年末。
家族で集まる予定の前日に他界し
みんなで出かける予定の年末は
父のお葬式になってしまった。
時間が経ってしまえば
悲しいは悲しいけど
母とふたりでクリスマスイブを過ごし
好きな日本酒を呑みながら
好きなものを食べお腹もいっぱいで
明日はみんなが来るんだなぁと
楽しみに布団に入り
ぐっすり眠り
心拍停止なんて自分も気付かないくらい
苦しむこともなく
静かな静かな最期。
その日も朝から天気が良くて
天気予報では
翌日は38年ぶりのクリスマスの日の満月とゆう。
それはそれで
父にとっては
幸せな最期だったのかも知れない。
私たち家族や周りが
ただ気付かなかっただけで
子供の頃に患い
左の利き脚がびっくりするくらい細かった父を
ふと思い出す。
もしかすると
もともと父は心臓が弱かったのも知れない。
あの日、その時は大丈夫でも
その時は
家族を迎えに行く
朝バイクに乗って走っていたときだったのかも知れない。
そう思うと
その時、その時の状況や
その時、その時の印象で
その時、その時の自分の考えや価値や思い込みで
どうしても目の前を結論付けてしまうが
きっと
本当のところどうなのかは分からないし
長い目で見ると。
俯瞰して見ると。
神様みたいな視点で見ると。
目の前で起こる出来事は良くも悪くも
未来のここで振り返ると
最善最良なのかも知れない。
本当は
最善最良とかもなくて。
起こる出来事が
ただ、起こっているのだろうけど。
最高の人生の見つけ方/2007年/アメリカ
祖母が他界する前と後と
父が他界してからと
なんとなく観てから
なんとなく命日の後に観ている。
観はじめは
余命が分かるのもどうかなと思ったけど
突然も、どうかなとも思う。
良いも悪いもなく
ただの寿命その人その人のそれぞれの寿命なのだけど。
物事には
きっかけは必ずあると思う。
やりたいことを一生やって生きていく人もいるし
早いも遅いもなく
きっかけはそれぞれなんだと思う。
毎日の繰り返しに
埋もれてしまったように思えるようなことも
知らぬ間に
忘れた頃に
満を持しているのかも知れない。
きっかけはどうあれ
それぞれ
自分の中で
今だろうと
自分の中で風が吹くのが分かるのだと思う。
いつでも思い立ったが吉日。
軽やかに
どんな瞬間からも
満を持した想いをここで経験していくのだと思う。
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