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防災ブラチャリリ2 〜江東区波除碑めぐり〜

気象予報士の加藤史葉@WeatherDataScienceです。
防災に関する設備や記念碑などをめぐり、防災に関する知識・興味を広げていく『防災ブラチャリリ』シリーズをnoteで公開しています。

江東区民になって、もうすぐ6年になります。
そして最近、高潮災害の記録を伝える波除碑(なみよけひ)なるものが江東区に2基存在すると知り、ブラチャリリすることにしました。

2020年10月中旬某日、古石場川親水公園でコミュニティサイクルをピックして、防災ブラチャリリ 〜江東区波除碑めぐり〜 行ってみましょう!

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【波除碑1】@平久橋(へいきゅうばし)の西側たもと

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“津波”と書かれてますが、高潮のことです。
昔は、高潮のことを『風津波』と呼んでいたそうです。

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寛政3年/1791年、時は江戸時代後期。
松平定信による寛政の改革の真っ只中に起こった高潮災害。

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今でも指で触って感じ取れる、200年以上の月日に耐え続けた刻み文字。

関東大震災(大正12年/1923年9月1日)と東京大空襲(昭和20年/1945年3月10日)で元の大きさの3分の2も失いながらも、
当時この地に生きていた人が遠い未来の子孫のために記録を残し、そして継いでいって欲しいという強い思いが伝わってきて、胸熱。

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波除碑の隣に、昭和33年に建てられた『津波警告の碑』があり、この側面には、原形を留めず文字も解読不能な波除碑に代わって、高潮災害を伝えるメッセージが彫られていました。

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寛政三年九月四日暴風雨による津波が襲来し
この付近一帯の家屋も住民も海中に押し流されて被害はなはだしく
以来幕府はこの付近を空地とし家屋を建てること禁じ
津波襲来を警告して
寛政六年今の洲崎神社と平久橋付近の二箇所に津波警告の碑を立てた
両碑は大正十二年震災と昭和二十年戦災によって破損した
昭和三十三年十月一日 江東区第三号


【波除碑2】@洲崎神社

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平久橋を渡り、木場五丁目交差点を経由しつつ東へ進むと、洲崎神社があります。
洲崎神社の前の通りには、“江東みちしるべ”なる波除碑を紹介する案内板がありました。

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由来
 寛政3年(1791) 9月3日に大雨が降り始め、翌日、深川洲崎一帯に襲来した高潮によって弁天社を始め、その付近の家屋がことごとく流されて多数の死者・行方不明者が出ました。幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西の5,467余坪を買上げて空地とし、家作を禁じて後の水害に備えることとし、さらに同6年(1794) 12月、空地東西の北端に波除碑2基を建て、見通しの標としました。

参道左手に波除碑があります。

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洲崎神社の波除碑も、何が書いてあるか解読不可能な状態ながらも、200年以上前に彫られた文字を視認することができます。

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ところで、高潮災害後に江戸幕府が買上げた空地の、
北西角が平久橋たもとの波除碑←→北東角が洲崎神社の波除碑
という位置関係であったことが案内板で説明されています。

これを『大江戸今昔めぐり』というスマホアプリで、現在の地図と江戸時代末期の地図とで比較してみると、2基の波除碑を結ぶ『深川洲崎』と記されている場所は、江戸時代当時の江戸湾の海岸線になっています。
海を望む風光明媚な行楽地だったそうで、『名所江戸百景』で有名な浮世絵師の歌川広重により、当時の洲崎海岸の風景がたくさん描かれています

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歌川広重による『洲崎弁財天境内全図・同海浜汐干之図』。
左下に描かれている当時の洲崎神社から連なる洲崎海岸を渡り、その向こう側、現在の平久橋付近へ至る景色を描いている、と思われます…。

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それぞれの波除碑にズームアップして、現在の地図と江戸時代末期の地図を詳しく観察。波除碑がある場所に番号をプロットしています。
洲崎海岸の南側、現在の木場1丁目と6丁目と東陽1丁目は、江戸時代では海だった!

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波除碑に託した先人の思いの受け取り方

寛政3年の高潮災害で、住民も家屋も流されていく状況を目の当たりにし、生き残った人たちが悲嘆に暮れながらも、二度と同じ思いをさせてはならぬと強い思いで石碑に彫りつけた文字を見ながら、現代に生きる私たちはこの先人の思いをどう受け取るべきでしょうか。

ここに住むのは危ない!というようなdisりで煽るつもりは毛頭ありません。

江戸時代と違って大きく技術が発展している今、台風や高潮が予想されれば、数日のリードタイムを持って情報を得ることができます。
水門や陸閘など、水の来襲を物理的に遮断する設備もあります。
自治体はあらかじめ、避難場所を設定し、ハザードマップで住民自身が土地のリスクを認識できるよう図解してくれています。

現代に生きる私たちは、
備えられているこれら様々な策を、あらかじめ知っておき、自身や大切な人の命を守るためのオプションが手中にあるのか確認し、
非常時にはどう行動するのか、災害が迫ってない、この平和な日常のうちに、備えておく。


この態度こそ、先人の思いを的確に受け取っていると言えるのではないかと思います。
私たちもさっそく実践してみようと思います。

江東区波除碑めぐり、終了!


深川めしランチ@富岡八幡宮

深川といえば、深川めし。
江戸時代、深川の漁師たちが仕事の合間に食べる賄い飯が、現在の深川めしのルーツとされています。

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富岡八幡宮にある『深川宿(ふかがわじゅく)』にてランチ。

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伊能忠敬先生がいらっしゃいました。
私たちの防災ブラチャリリの旅を見守っていてください!

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エントランスは歴史を感じさせる和の佇まい、素敵!

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実は、東京メトロのCMで石原さとみさんが訪れていたお店なのです。

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漁師風の「ぶっかけめし」と、家庭料理風の「炊き込みご飯」がセットになった辰巳好みをオーダー。

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美味しくいただきました!が!
女性には結構なボリュームです。夫に少し手伝ってもらいました…。

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帰りに、富岡八幡宮にお参り。
必ずいつか起こる自然災害。皆がそれぞれ自分と大切な人の命を守ることができますよう。

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おまけ:玉の輿たまちゃん

洲崎神社の中に、縁結びの神『玉の輿たまちゃん』が祭られていましたよ!

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