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私は100年前を生きた日本人より進化しているのか

日本のモノづくりは衰退してきているが頑張っているところもあるわけで、各分野で残り数%が日本のモノづくりを支えている。

少し考えてみると日本に限らずかもしれないが、非常に根気のいる作業や面倒臭い事とか手のかかる仕事こそ日本の物づくりの様な気がしてならない。気の遠くなる様な作業を黙々と綺麗に美しく行うのがJAPAN クオリティだと色々な伝統産業を見ていて思う。

今、私はもうすぐ2020年になる年を生きていて50年100年前の日本のものづくりを見た時に今の私でも作れないと思うと不思議な感覚である。蜂の巣を作れと言われて作れないので俺は蜂以下だと思ってしまうそれである。謎な例えをしてしまった。

しかしそれほど気の遠くなる作業を人々は行ってきて美しい産物を世に送り出してきた。昔はなんでも自分の手でやっていたものだろう。洋服を直したりするのもそう。器用、不器用関係なく出来ることは自分でやる。それが当たり前だった様に思う。世界を見ればまだそんな日本の戦前に近い様な暮らしをしている民族もいるわけでやはりそういった方たちは自分達で作ったものを売って生計を立て暮らしている。

確かに文明が発達していなかったら働くところもないわけで自分で何かするしかない。作って売って、お金をもらう。そうやって非常に根気のいる気の遠くなる様な作業を経て何かが生み出されてきたのだろう。

今は生産性が真逆の時代に入り、手のかかるプロダクトは多く需要がなくなった。でもそれより素晴らしいものはあるのかと考えてしまう。結局正直者がバカを見るみたいな世の中は好きじゃないがそれが現実である。

熱い思いだけあれば好きな事をやっていけると信じて蓋を開けてみたらそれだけじゃやっていけないんだと気づく、そんな疎外感。

なんにせよ自分は今どんな状況であれ恵まれている場所に生きている。文句や愚痴なんていっていられないほど平和で平穏な日々を送れる状況にいる。大したことなんて何一つ出来ていない。100年前を生きていた日本人以下の暮らしを手に入れてしまった。もっと貪欲にストイックに毎日を送る準備をしなければいけない。

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