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対話につながるクリティカルシンキングの在り方

はじめに

こんにちは!Fumiyaです!今回、TOC for Education 駅伝 Advent Calendar 2020に記事を投稿することになりました!TOCfEとは、クリティカルシンキングのためのツールです(詳しくはアドベントカレンダーを参照してください!)。

今回のテーマは、クリティカルシンキングが対話につながるんだよって話をしようと思っています。「この二つって全然違うものだし、むしろ相反するもので繋がるとかあり得ない!」と思っている方も結構いるんじゃないかなと思って、書いてみようかなと思いました。

ちなみにTOCfEのツールであるブランチを使うとこんな感じで表せます。これをみて、そもそもクリティカルシンキングや対話ってなんなんだろ?とかどういう意味で使ってるんだろう?と思う方もいると思うので、ここでの二つの言葉を意味を簡単に説明していこうと思います。

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クリティカルシンキングって?

最近、正解のない問いに向き合うことが大事とよく言われています。そしてそのためにクリティカルシンキングが必要だと言われています。ではクリティカルシンキングって何かというと日本語で言うと「批判的思考」となります。まあ、物事を批判的に考える、と捉えてもらえれば大丈夫です。

批判的思考と聞くと、相手の意見に対して「それ本当なの?」、「その根拠は?」と詰め寄るイメージがあります。確かに、相手の意見を無批判に受け入れないと言う意味ではこれも批判的思考と言えます。しかし、本来の批判的思考の意味は自分の考えに対して、「それって本当かな?」、「その根拠ってなんなんだろう?」と問いかけることです。つまり、自分の考えに対してしっかり考え直すことなんです。批判とは自分に向けてするものなんですね。

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対話って?

では、対話とは何を指すのでしょうか?対話という言葉も、クリティカルシンキング同様(いやそれ以上?)によく聞かれる言葉です。ここで言う「対話」とは異なる価値観や情報を交換すること、という意味で言っています。交換をもっとざっくりいうと「受け取り合う」というニュアンスで捉えています。似たような言葉に「会話」というものがありますがこちらは、価値観や生活習慣なども近い親しいもの同士のおしゃべり、であり異なる価値観を共有することとは違います。対話と会話に関しては、平田オリザの『わかりあえないことからーコミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書)を参考にしています。

これで、二つの言葉の意味がより明確になりました。次に考えたいのは、クリティカルシンキングが対話に繋がる、というところです。なんで繋がるんだろう?とみなさんも思っているでしょう。

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クリティカルシンキングをすることでどうなるの?

先ほど、クリティカルシンキング(批判的に考える)とは自分に向けてするものだと言いました。では、そのように考えることでどのような変化が起きるのでしょうか?それは自分の考えに「余白」ができると言うことです。

ここで言う「余白」とは、自分と異なる相手の考えを受け入れるための余白です。

自分の考えに対して、「ほんとかな?」と思えると、他の異なった考えや答えもあるんじゃないか?と思えるようになります。逆に、余白がない時は自分の考え方が正しいに違いない!だから相手の考えを正してあげなくちゃとなります。そうすると、相手の意見は間違ったものとしてしか見れず、結局異なる考えを受け入れなくなります。この余白が対話につながると思っています。先ほど書いたようにこの余白が自分とは異なる考えを受け入れる素地になるからです。

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さて、これでクリティカルシンキングと対話をつなぐ箱ができました。もちろん、上記に書いたように厳密に考えればこれでそのまま対話できる!とはなりませんが、繋がりは見えたかなと思います。最後に考えたいのは、「では、自分とは異なる意見に触れた時にどうやって自分に向けて批判的に考えるのか?」ということです。

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批判的に考えるために大事なこと

先ほど、批判的に考えることが対話に繋がっていくと言う話をしました。ここまで読んだみなさんは、「クリティカルシンキングが大事なのはわかった。でも、実際異なる考えと対峙した時にそのような考え方ができるかわからない。」と思われるかもしれません。ここでは、そのための心得について触れていきたいと思います。

その心得とは、「わかったと言わない」です。

これはTOCfEを支える4つの柱(仮定)の一つなんですが、僕は一番大事なことだと考えています。「自分はこのことに対してわかっているんだ」と思うとそれ以上考えることをしなくなりますし、自分の考えが正解だと思います。そうすると先ほど言ったように自分の考えに対して批判的に考えるということはしなくなり、相手の意見にばかり批判的に見てしまうようになります。

そうではなく「どんなに考えて出した結論でも、そこに反論できる余地はある」、難しいですがこのように思えることが重要です(これは自分にも書きながら言い聞かせています笑)。異なる意見に晒された時に上記のことが思い出せたなら、「本来持っている心の軽やかさ」を失わずいられます。そしてそれが対話にもつながっていくのだと信じています。

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(余談)余白があれば対話ができる?

余談ですが、余白があれば対話ができるのかと言うとそんな簡単ではありません。あくまでこれは必要な要素であって、これだけで対話になると言うものではありません。

実際、平田オリザの「わかり合えないことから」では『「対話的な精神」とは、異なる価値観を持った人と出会うことで、自分の意見が変わっていくことを潔しとする態度のことである。あるいは、できることなら、異なる価値観を持った人と出会って議論を重ねたことで、自分の考えが変わっていくことに喜びさえも見いだす態度だと言ってもいい。』と書かれています。

余白ができるだけで、このような態度になるかというとそれは難しいと思います。なので、余白があれば対話ができると言うわけではないんです。ここからさらに対話にしていこうと思うと、問いの投げかけ方、話し方など他の要素が入ってくると思いますが、それはまた別の機会があれば書こうかなと思います(というかまだ記事に書けるほどそこらへんは自分で整理されてません笑)

最後に

今回、アドベントカレンダーのテーマとしてクリティカルシンキングと対話を選びました。これ2015年のアドベントカレンダーでも同じようなテーマで描いてるんですよね笑
その時は、TOCfE(クリティカルシンキングのためのツール)の中のCLR(論理を確認するための問い)を相手に使うときは気をつけないと傷つけてしまうよって話でした。それに対して今回の話は自分に対してCLRをすることだと思っています。つまり、前回の記事が相手に無闇にCLRすることの弊害を書いてあるのに対し、今回は自分に対してCLRすることで得られる恩恵について書いています(もちろん自分に対してCLRすることで起きる弊害もあります。自分へのツッコミが強すぎて凹んじゃうとか)。

クリティカルシンキングとかロジックと聞くと冷たいって思う人は結構います。でも、本来はどちらも相手への配慮として使えるものだと思っています。論理的に考えるという行為も、相手に伝わる言葉にするという意味で相手に自分の言葉を届けるための配慮としても使えます。そういうふうに考えることが感情を伴った温かいものだと思ってもらえたらいいなと思って今回普段思っていることを記事にしてみました。長くなっちゃいましたが、最後まで読んでくれてありがとうございました♪

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