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いのち。

「いのち」は、なかなか失われないようで、あっけなく、手の指からすり抜けるように消えていく。


しばらく雨が降り続いた先週。

12日、日曜日だけは珍しく雨が上がり、晴れ。

気温も上昇。セミの鳴き声が遠くで聞こえていた。

そんな日の朝、自分の人生(25年)の大半を一緒に過ごしてきた愛犬(オス・雑種)が、この世を去った。


享年17歳。


よく犬とか猫の年齢を人に例えた表がいくつかある。今回は酪農学園大学の表を参考にすると、彼は人間で言う84歳に相当。


結構、長く生きたなぁ。


晩年は、足腰が弱くなり、ほぼ寝たきり。あれこれお世話はしたけれど、最後の最後で病気になってしまい、苦しかっただろうな。


亡くなった日の朝は、エサや水を取ろうとせず、とにかく苦しそう。

「とりあえず病院に連れて行こう」そんなことを家族と話した。

8:30ごろに、朝のお世話を済ませ、それから遅めの朝食。

食べ終わったのは9:00を過ぎた頃だろうか。

先に食事を済ませた妹が、犬のところへ行き、彼の様子を見た。それから、食事後のお茶を飲んでいた自分や食事の片付けをしていた家族のところへ来て一言。


「死んじゃったかもしれない」。


慌てて、家族全員で彼の様子を見にいく。すると、30分前まで確かに息をして温かった彼が、息は止まり、虚空を見て、冷たくなっていた。


最初は、理解できなかった。

「なんで?なんで?なんで?」

「ついさっきまで温かったよ。これから病院にって思っていたのに……」



ちょっとした間にするりと、彼は『いなくなってしまった』。



家族みんなが悲しんだ。すすり泣いていた。けど、自分は悲しくも泣けていなかった。

ひとしきりすすり泣いた後、家族のみんなは、朝の支度をするために、各々歯を磨いたり、片付けを始めた。


自分は1人、彼の側に残り、彼を見つめていた。


しばらくして、ようやく彼が『いない』ことを理解した。

うずくまり、叫びを押し殺して、泣いた。

声を上げない、慟哭に近いものだったと思う。


泣きながら、脳裏に思い出や後悔が波のように押し寄せる。


「大雪の後の散歩は面白かったな」
「もっと早くに異変に気づけばよかった」


さまざまなモノが押し寄せたが、最後に残った想いはたった1つ。


「うちに来てくれて、ありがとう」。




これは、ある日曜日に起きた1ページ。

彼が生きた証として。

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