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上段高校 重音部

 上段高校「重音部」1学年  前半
 アキツ フミヤ著

(あらすじ)

 上段高校は、男女共学にも関わらず女子生徒しかいなかった。創立50周年目のこの春、初めて男子生徒3名が入学する。
 その1人が僕だ。僕は小学5年生までは天才バイオリニストと呼ばれていた。しかし、両親の離婚や大事なコンクールでの失敗によるトラウマから、バイオリンを弾くことができなくなっていた。

 以来、女子とは目を合わせて話せないほど、内気な性格になり、暗黒の中学時代を過ごしてしまった。男子からはイジメに会い、よくケンカをした。
 上段高校を選んだのは、偏差値70のお嬢様ばかりで、少なくとも暴力沙汰になることはないと期待したからだ。
 ところが、6000人の女子は、男子3人に対して、興味本位で、あれこれとウワサを立てる。女子たちの監視の下、男子は息をひそめるように生活しなくてはいけない。

 男子3名は、全員、音楽の才能に秀でていたので『重音部』を立ち上げ『MARS GRAVE』というロックバンドを結成する。
そこに入部してきた女子に、僕は生まれて初めて恋をする。それも二人同時にだ。

(主な登場人物)

・倉見 涼
 この小説の主人公。元天才バイオリニスト。女子が異常に怖いのだが、女子高同然の上段高校に入学してしまう。男子3人で『重音部』を立ち上げ『MARS GRAVE』というロックバンドを組む。
 バンドでは、ボーカルとギター担当。 

・宮山翔也
 性格はチャラいが、男気のある奴。この高校ならハーレムが作れるとカン違いして、偏差値を25も上げて何とか滑り込んだ。
 ボーカルとベース担当。

・橋本万両
 落ち着いた大人のような性格。誰とでも、すぐに仲良くなれるという特技がある。日本中の方言を話すことができる。
 編曲担当でDJとしてもプロ級の腕を持つ。

・門沢流海(かどさわ るみ)
 真面目な性格の美少女。クラッシックを愛するピアニスト。
 ボーカルも担当。

・海老名(えびな)・サービス・エリカ  
 父親がニュージーランド人、母親が日本人のハーフ。ロック好きな明るい性格の美少女。
 ボーカルとギター担当。

・日本橋吉子
 2年生で『上段ストリーム』のチーフプロデューサー。『重音部』の番組を担当する。優秀なのだが、しゃべり方が時代劇風。

・宇都宮サオリ
 2年生で『アイドル部』が運営する『上段ガールズ』のセンター。

・大森亜奈
 2年生で『アナウンス部』の看板アナ。『MARS GRAVE』の番組の司会を担当する。

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この作品は『みんなの小説講座』というnote のサブテキストになっています。
小説の書き方を学びたい人は、ぜひ、こちらも読んで下さい。
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 上段高校「重音部」1学年・前半
 アキツ フミヤ著

前半「1話」から「28話」まで
 *「1話」から「5話」は無料で読めます。

 「第1話」  

「では、これから顔合わせを行います。新入生の皆さん、左を向いて下さい」
 壇上の女性校長の声に、2000人の1年生が、一斉に身体の向きを変えた。靴が地面を蹴る音が校庭に響く。訓練を積んだ軍隊のような整然とした動きだ。あわてて僕も左を向く。
「はい、在校生の皆さん、右を向いて下さい」
 4000人の女子生徒も、こちらを向く。2つの巨大な集団は、校庭で向かい合わせとなった。

 マズい! 僕と2名の男子生徒は、左を向くと、新入生側の最前列に立ってしまう。しかも、ど真ん中だ。敵陣との距離、3メートル36センチ。近すぎる。あまりにも危険だ。
 目の前に4000人、背後に2000人、圧迫感がハンパない。制服のミニスカートから伸びる生足の檻に閉じ込められた子羊のような心境だ。

「在校生の皆さん、今年から男子生徒が3名、入学しました。上段高校の開校以来、初めてのことです。どうか暖かく迎え入れてあげて下さい」
 女子の間から、この世のものとは思えないような不気味な声が、男子3人に襲いかかった。女子どもの鼻息が荒い。「ヒューヒュー!」と、からかうような声も、あちこちから上がっている。
 こ、これが女子高の生徒か! 男子の目がないのをいいことに、完全に女を捨てて、おっさん化している。
「女子の皆さん、男子の制服を見るのは初めてでしょ? 中々、素敵だと思いませんか?」
 僕らは、紺のブレザーにグレーのズボン姿だ。胸元は、女子がリボンなのに対して、男子はネクタイ。赤と黒の縞模様だ。

「上段高校には、今までは女子しかいませんでした。創立50周年を迎え、この学校も変わるときが来ました」
 そうだ。この高校は男女共学であるにも関わらず、なぜか創立以来、男子生徒が一人も入学していないという。
「今や完全に女子高と化し、閉鎖的で偏った学校になっていないでしょうか。世間でも、我が上段高校は女子高だと思われています。私は校長として、この学校に男子にも入学してもらい、新しい風を呼び込みたいと思います」

 女子どもの視線が、男3人の身体をなめ回している。僕の左右に立つ2人の男子生徒の顔を見たが、2人共、恐怖で凍りついたような表情をしていた 
 僕にとって、この世で最も怖いもの、それは女子高生だ。女子と話をするくらいなら、幽霊とかゾンビと話をした方が遥かに楽しいと断言できる。
 この学校を選んだのは正しかったのだろうか? 6000人の男に飢えた女子共に囲まれ、深い後悔の念に包まれた。

 あれ? なぜだ! 女子全員が僕の方を見ている。これは気のせいか? 前にいる4000人の鋭い視線が、僕に向けられて痛いくらいだ。さらに、後方からの視線も感じる。身体の前後から迫りくる恐怖に耐え続けた。
 僕は視線を正面上方45度に保ち、空の雲を凝視することで精神的な安定を図ろうとした。小さくて薄い雲がある。今にも消え入りそうだ。この高校での僕の存在を象徴しているようだ。
 耐えろ、自分! もし、ここで少しでも怯えた様子を見せれば、僕は女子から軽蔑され、再び中学時代のような暗黒の3年間を過ごさなければならなくなる。ここは男子としての威厳を保つべきだ。

 女子たちの視線が電磁波となって、僕の身体中の血液を沸騰させる。電子レンジの中のパック入りご飯になった気分だ。
 それに長い。いつまで一年生と在校生がにらみ合っていればいいのだ。これでは顔合わせというより、ガンを飛ばし合っているようにしか思えない。大勢の女子と向かい合うなど、僕にとっては、とてつもないストレスでしかない。
 もう2分、経った。今にもチンと音がしそうだ。息が苦しい。早く終わってくれ! 
「では、一同、礼!」
 校長の言葉に「よろしく、お願いしま~す!」という女子どもの甲高い声が、後ろから前から僕を襲った。

「倉見よう、何で、お前だけがモテんだよ」
 宮山が言った。
 やせマッチョで185センチの長身。長い茶髪に、耳にはピアスをしている。ハンサムなのだが何かチャラい。
 第一印象は良くなかった。見るからに不良の遊び人ぽい。
「クラブ行かねぇ? 馴染みの店があるぜ」とか誘われそうで、距離を置こうかとも思った。
 でも、話をしてみると、意外にも音楽に対して熱い想いを秘めている男だとわかった。すぐに意気投合し、一緒にバンドをやることにした。

「知らない。女子が勝手に押し寄せて来る」
 僕はタブレット端末を使って宿題に取り組んでいた。この学校は偏差値70の進学校で、授業についていくのも一苦労だ。
「クソッ! 何で俺だけ女子ウケが悪いんだ。納得がいかねぇ」
 ストローをくわえたまま、宮山が言った。
 飲んでいるのは、上段スウィート・イチゴミルクだ。近くにある上段牧場で作られ、この上段高校でしか手に入らない限定のミルクだ。一度飲んだら他の飲み物は飲めなくなるほど、おいしい。僕も、毎日、これを飲まないと生きていけないほどハマってしまった。

「まあまあ、女子にも好き嫌いがあんねん。センターは倉見に譲ってもええ。宮山と俺は、残りの女子から見つけたらええやん。6000人もおったら楽勝やろが」
 橋本が、この高校の名物であるステーキパンを食べながら言った。
 彼は成績が優秀だ。メガネをかけ、いかにも頭が切れそうな顔をしている。背は僕と同じ173センチだが、がっしりした体つきをしていた。中学では柔道部に所属していたという。

 金儲けの話が好きで、経済にはやたらと詳しい。よく「なんでこの時期にFOMCが利上げすんねん、アホが!」とか「米国の非農業部門雇用者数が予想より多かった。損したわ」とか「リップルより、これからはSHIBA INUの時代やな」などと、僕には理解できないようなことを口走っている。父親が投資家で株やFX、それに仮想通貨などの取引をするのを見て育ったそうだ。
 そして、他人とコミュニケーションする能力に優れている。実家が商売をしているせいか、誰とでも、すぐ友だちになれる才能があるようだ。
 彼なら地球に侵略してきた宇宙人とも難なく交渉できそうだ。女子とは目を合わせて会話できない僕からすれば、ひどくうらやましい。

「ああー! いつになったら、ハーレムが作れるんだよ。クソっ!」
 宮山はイスに座り、ふてくされたように机の上に足を投げ出した。
「そやけど、不均衡な状況は長くは続かへん。いずれ女子も自分の置かれた状況を把握し、条件を緩和してくるはずや。最終的には基準値に近い形で収束すると見とる。何事も市場原理に左右されるんや」
 何だか、学者のような話し方だ。それに言葉にナマリがある。「関西出身なのか?」と聞いたのだが「ちゃうちゃう」とごまかされた。

 僕たち男3人は、部室にいた。広大な学校の敷地の北側の外れに、僕らの部室はあった。広さは教室の4倍ほどもある。男子3人のために、学校側が古い備品倉庫だった建物を部室として提供してくれた。
 上段高校では、生徒は全員、クラブ活動をしなければならない。しかし、既存の部に入るのは絶対に嫌だ。女子の上級生たちに気を使うのはだけは勘弁して欲しい。パワハラやセクハラにあう恐れもある。ここでは男子は、か弱き存在だ。
 そこで、僕たち3人は校長に直訴して、新たなクラブを立ち上げることにした。それが、この『重音部』だ。残念なことに『軽音部』は、すでに存在していて部員が400人もいる。だから、この名前にした。そして『MARS GRAVE』というロックバンドを結成した。

 部室といっても、ただ、机が6個並んでいるだけだ。楽器は自分たちのモノを使うが、アンプなどは学校側が購入してくれるという。
 壁には『女はオオカミ、気をつけよう!』と書かれた紙を貼り、女子からの侵略を防ぐ結界とした。この部室だけは僕ら男子の聖域としよう。凶暴な女子どもから身を守るには、他に手はない。

 部を立ち上げて1週間経ったが、ロックバンドをやるということ以外、何も決まっていない。まだ持ち歌もないので、曲作りから始めようかと思っている。
 僕は弦楽器、特にエレキギターが得意だ。3歳から始めたバイオリンでは数々のコンクールに入賞し、マスコミの注目を浴びたこともあった。
 しかし、訳あって、今はバイオリンが弾けなくなってしまった。
 クラッシックを辞め、ロックに転向してからは、エレキギターを弾いて歌うことだけが唯一の趣味となった。

 宮山はベースが上手い。テクニックはプロ並みで、どんなアドリブにも対処できる。絶対音感を持ち、リズム感もバッグンだ。生まれながらのベーシストだと言える。
 唯一の欠点は、楽譜が読めないことくらいだ。作曲も鼻歌を録音する形ででしている。
 女子にモテたい一心で楽器を始めたのだというが、その腕には驚いた。天性の音楽的な才能を持ち合わせてのだと思う。

 橋本は楽器は弾かないが、DJとしての才能がすごい。様々な音を打ち込み、ミキシング、マスターリングして、新しいサウンドを創り出す。まさに職人技だ。僕らの曲のアレンジも担当している。一家そろって音楽好きで、家には何万枚ものレコードコレクショんがあると聞いた。

「だから、何でお前だけなんだよ。俺の方がイケメンだろうが!」
 リズムを刻むように身体を揺らしながら、宮山が言った。
 なぜモテるのか、僕にも理解不能だ。小学生の頃は確かにモテた。天才バイオリニストともてはやされ、将来が約束されていた。
 僕自身、当然、クラッシックへの道へ進むもうと決めていた。あの頃が、僕の人生の頂点、いわゆるモテキだ。
 だが、小学5年生の春、両親の離婚によって、僕は精神的に不安定になってしまった。そして、大事なバイオリンのコンクールの最中、ミスをした挙句、途中棄権をしてしまった。
 それ以来、バイオリンは見るのも嫌になるほど心を病んでしまった。バイオリニストになるという夢を絶たれた。
 父が家を出てしまってから、僕は生きる意味さえ見出すことができなくなっていた。

 中学には何とか通ったが、あまりにも暗くて『弱気なブラックホール』と呼ばれていた。男子からは、あからさまなイジメを受け、よくケンカをした。
 女子は気をつかってくれて、僕とは距離を置いてくれた。それは、逆に、僕にとってはありがたかった。
 そんな訳で、中学時代には一人の友達もいなかった。誰とも会話することなく、出かけるときも常に単独行動だった。
 一生、一人で生きて行こう。そう決心して、様々なことに挑戦した。一人焼き肉、一人カラオケ、一人遊園地、一人旅だ。世の中、一人でできることは多い。そして思ったより快適だ。
 他人と接することの煩わしさから逃れるには、やはり一人でいるのが一番だと思う。恋愛や結婚など、単なる人間の本能からくる人生最大の過ちに他ならない。僕は、齢(よわい)15にして独身を貫く決心をした。

 そう決めてからは、勉強を始め知的好奇心を満たすことだけが生きがいとなった。世の中のことをもっと知りたい。この世には科学的に解明されていないことが多すぎる。
 そう思って様々な分野の勉強をした。特に、文学、歴史、宇宙物理学だ。成績もどんどん伸び、学年トップを維持することができた。
 ロックにも熱中した。クラッシック以外は音楽ではない。そう言われて育ってきたせいか、他の音楽はあまり聴く機会がなかった。でも、実際に触れてみると、クラッシックより遙かに強く僕の心に響いた。自分も演奏したくなって、ありったけの金を集めて、エレキギターを買い、弾き始めた。
 YOUTUBEなどでプロの演奏を繰り返し見て練習した。上達が早かったのは、 長年バイオリンをやっていたせいだろう。楽譜が読めるし、同じ弦楽器。さらに、ギターにはフレットがあるので、楽に弦を押さえることができた。
 
 そして、それは僕に生きる勇気と希望を与えてくれた。前へ進もう。負け犬のままで人生を終えるのはごめんだ。
 深い海の底に沈んでいた潜水艦は、新たな武器であるエレキギターを備えることで、ようやく浮上し始めた。

 僕にとって、この世で最も怖いのは女子高生だけだ。僕が、毎朝、使っている駅の周囲には女子高が多い。当然、女子生徒ばかりだ。
 駅から吐き出された女子たちは、徒党を組み、道を塞くようにして突進してくる。朝は急いでいるのか凄い勢いで歩いてくる。
 田舎に住む人が「野生のイノシシは怖いべさ、突進してくっからよ。キバでやられると大ケガするっぺ」とテレビのインタビューで話していた。その恐怖は、東京の街中で野生の女子高生に遭遇している僕には、よく理解できた。
 登校のために駅へと向かう僕は、いつも彼女たちに遭遇しないように、裏道の裏道のさらに細い通路を選んで通学するしかなかった。

 女子高同然の上段高校に入学してしまったからには、男子3人は団結するしかない。卒業まで何とか耐えよう。もしかしたら、来年、男子が大勢入学してくるかも知れない。それに期待することにした。
 そんな訳で、男子3人は親友となった。だから、僕にとっては、友だちができて嬉しいという気持ちの方が大きい。この学校を選んで良かったと思うのは、これだけだ。

 正直に言えば、僕は生身の女性には興味がない。スマホの画面に映し出されるアイドルに恋をする方が楽だ。宮山のように肉体的な接触をしたいとは思わない。性的な行為は、たとえ相手が好きな異性であっても不潔なことだと感じてしまう。
 唾液の中には数十億個のバイ菌が存在するという。キスなんて、お互いの菌を交換しているだけだと学者が主張している。性行為なんて、さらに不潔極まりない気がしてならない。
 性欲は頭の中でエロいことを想像しながら、自分で処理すればいいだけの話だ。肉体的な接触で危険な目に合うなんて、愚かな行為にしか思えない。 
 付き合っている内はいいとして、いざ別れるとなると耐えがたい苦痛を味わうことになるだろう。もし子供がいたとすれば、最も傷つくのは子供だ。僕自身、両親が離婚した際には心に深い傷を負ってしまった。だから恋愛や結婚など絶対にしないと決めていた。

「あ~、チクショウ! 上段高校が男子にも来て欲しいとキャンペーンを始めたから、メッチャ勉強して合格したのによ」
 宮山は、50人以上の女子に声をかけたと話した。だが、みんな、彼の顔を見ると逃げ出したという。中には泣き出す子もいたと聞く。
 3日前には、学校側が宮山に対して、女子へのナンパを禁止すると通告してきた。
「なぜだ! 俺は恋人になってくれと迫ったりはしねぇ。そんなもん重すぎるだろうが。単に遊び相手が欲しいだけだ。卒業までに100人とやれればいい。それだけを夢に受験勉強に励んで、偏差値を25も上げて、やっと入れたのによう。この純粋な少年の想いを、なぜ女子は理解してくれねぇんだよ!」
「お前、アホすぎるで。ここは女子の帝国や。不倫とかしたらネットでフロボッコにされるのがオチやぞ」
 橋本の言う通りだ。宮山の考えは一般常識から逸脱している。当然、女子から理解してもらえる訳がない。
 それに、カン違いも、はなはだしい。ここは、いい漁場で入れ食い状態で魚が釣れる、と彼は思い込んでいる。しかし、我々はサメの大群がいる海に落ちた男3匹に過ぎないのだ。

「この高校の男女比は異常だ。当然、モテるはずだ。統計学的におかしいだろうが」
「ちゃうちゃう。世の中の仕組み知れば分かるやん。富める者は、ますますリッチに、貧しき者は、どんどん貧乏に。そういうもんや」
 宮山が本能で行動するとすれば、橋本は理論的に行動する。橋本は、何でも分析し、自分の知識として取れ入れ、判断材料としている。
 彼の家は裕福なのに、バイトをしているのも社会勉強のためだという。

「倉見、今日まで何人にコクられたんや?」
「えーと、364人」
「おいおい、あと一人で、一年過ぎてまうやん。さっさと決めんかい! 俺らがモテへんのは、お前のせいや」
「そんだけいたらよう、一人くらい好みの子がいるだろうが!」
 僕は首を振った。そもそも女子とは目を合わせて話すことができない。中学時代、前の席の女子から「このプリントを後ろに回して」と言われたら何とか「あ、はい」と返事するのが精一杯だ。

「どうしたら、女子の方から告白される? 秘訣を教えてくれよ、頼む! なあ」
 宮山が、すがるような目つきをした。
「毎日、何十人もの女子から真剣な表情で告白されてみろ。レディースの集団からリンチを受けているような気分になるぞ」

 最初は、一人ずつ説得しようとした。しかし、ただでさえ女子としゃべるのは苦手だ。その上、効率が悪い。そこで、事前にプリントした冊子を配るようにした。これなら女子のプライドを傷つけることなく交際を断ることができる。
 自分は女性恐怖症なので少しずつ慣れさせて欲しい。とても6000人の魅力的な女子の中から、一人を選ぶことなどできない。少しずつ女子と話すことに慣れ、コミュニケーションが取れるようになるまで待って欲しいと。
 そして、僕の生い立ちから上段高校へ入学するまでの記録を私小説風につづった。
 そんな内容の400ページにおよぶ本を配る日々だ。1部500円だが、重版に重版を重ねて、今では上段高校始まって以来のベストセラーとなってしまった。生徒数6000人の学校なのに、なぜ、こんな本が52万部も売れるのか理解に苦しむ。

 上段高校『文芸部』の3年生の評論家は「これはセックスに対する男子生徒の強い想いを、逆説的に、みずみずしい感性で表現した新しい文学の傑作!」と論じていた。
 やはり文芸評論家なんてアホばかりだ。文章を読み解く能力が著しく欠けている。僕は、単に生身の女子が怖いだけだ。アニメの女子キャラの方がはるかに魅力的だ。二次元の女子なら直接、会話することもないのでビビらずにガン見できる。
 そんな訳で、女子の間で、僕は『文豪』というアダ名で呼ばれるようになった。

「それは、チョー裏山だ。出された料理はちゃんと食えや。そして、チェリーを卒業しろ」
 宮山にも分かるように、自分の気持ちを説明しようと試みた。
「たとえば、花にとまっているテントウ虫はかわいいと思うだろ。でも、冬に倒木をどけてみて、数千匹ものテントウ虫がうじゃうじゃいるのを見ると、胸の辺りがグワーってなる」
 女子高生も、一人ならまだ我慢できるのだが、6000人もいると釣り餌用のゴカイの塊に見えて気持ちが悪い。同じ原理だ。

「そうか、わかったぞ! お前のその目つきと、その態度だ。女に興味なさそうでいてよう、草食系とか絶食系とかに見える。でも、お前は、自覚なく母性本能をくすぐってやがる。まさに天性の資質じゃねぇか。お前は男の敵だ」
「そんなことないよ。僕はただ…」
「誰か来てるで!」
 橋本が、机に飛び乗って言った。宮山も続く。

 この部室は、元は倉庫だったせいか窓が高い位置にある。外を見るには机に乗らなければならない。
「おお、激カワ! 俺のタイプだぜ」
 宮山が興奮した声を上げた。
「ホンマや。どえりゃー美人や」
 どえりゃー? 関西弁ではない。彼は日本中の方言が話せると聞いたが、やはり本当なのか。
「キターーー!!! 今まで俺の誘いを無視してきたのは、ここに来て、こっそりコクるつもりだったのかよ。これはチャンスだぜ」
 宮山が、ドアに駆け寄る。

「失礼しまーす!」
 ドアが開き、一人の女子が入って来た。
 長いストレートの黒髪。前髪は、眉のやや下でゆるいカーブを描いて斜めに切ってあった。大きく澄んだ瞳が印象的だ。
 視線がぶつかった。でも、そらすことはできない。なぜだ! それに何だ、このトキメキは。心臓が激しく鼓動している。
 この一週間、小さな町が作れるほど多くの女子からコクられた。しかし、どの子にも僕の心は拒否反応しか示さなかった。だが、目の前の彼女は、心から愛しいと感じる。初めての感情に戸惑った。

「やあ、お嬢さん。俺に何か用かな?」
 宮山が、長い髪をかき上げながら彼女に声を掛けた。
 その女子は、宮山の身体をすり抜け、まっすぐ僕の方へと歩いてきた。
「私、1年1組の門沢と言います。門沢流海」
 机を挟んで、彼女が言った。僕だけに言ったような気がした。
「見えてねぇ。俺は、ステルス戦闘機かーー!!!」
 宮山が、その場に崩れ落ちた。
「い、いらっしゃいませ。あの、ご用件をうけたて、まつり、ます」
 緊張して声が裏返ってしまった。落ち着け、自分!
「入部したいんですけど。私、ピアノとバイオリンが弾けます。それに声楽も」
「そ、それは、あなた、すごい、できる人。賢い、ぜひ、入部を。今、入部届けを」
 何か口調が変だ。自分でも何を言っているのかわからない。他の女子とは違い、彼女の前だと、なぜか拒絶反応が出ない。それどころか愛しいとさえ感じる。

 タブレット端末に入部届のフォームを表示させ、彼女に差し出した。
 ペンを動かす彼女の手を見てハッとした。楽器を演奏する人の指だ。広い音域をカバーするために長く、弦や鍵盤を押さえるための筋肉もしっかりとある。
 僕は、彼女の左のアゴにかすかに歪んだ箇所があるのを見つけた。
「君って、努力家なんだね。バイオリンを弾き込んでる」

 いつの間にか、僕の指が彼女のアゴに触れていた。
 少女が視線を上げ「ええ」と答えた。彼女の瞳を見つめていると様々な感情があふれてきた。何だろう、この感覚。
「音楽を愛して止まない。君と僕とは同じ運命に導かれし者。この出会いに感謝しよう」
 え、何、このセリフ、僕が言ってるのか?
「そうね。これは運命かも」
 彼女が微笑むと、頬にエクボが浮かぶ。町中に窪みが現れ、愛が満たされた。

「わ、ごめん!」
 あわてて、手を離した。
 な、何をしているんだーーー!!! 自分でも驚いた。女子とは視線さえ合わせられないチキンな自分が、なれなれしく女子の顔に触るとは。
 それに、今の態度。ドラマとかで、イケメンのタレントしか言ってはいけないセリフを堂々と口にしていた。一体、自分の身に何が起こっているのだろう。
 かなり動揺しながら、入部届を確認した。女子にしてはシャープできれいな字だ。冷静を装って入部届を『部活管理課』へと送信した。
「では、よろしくお願いします」
 彼女は僕の真向かいの席に座った。僕らの前の席は3つとも空いているのだか、彼女は当たり前のように僕の正面の席に腰をおろした。
 不思議なことに、彼女と目を合わせても恐怖を感じない。むしろ癒やされる感じだ。男子として15年ほど人間をやっているが、こんな気持ちになるのは初めてだ。

 彼女がいるだけで、部屋の雰囲気が一変した。適度に張り詰め、かつ甘い空気に満ちている。橋本は、こっそり彼女の香りを嗅いでいる。
 そうだ。男子三人に女子一人、これが理想だ。3人vs 6000人では戦力差が大きすぎて、戦っても試合にならないではないか。
 愛しいという気持ちがあふれてきた。胸の高鳴りを抑えきれない。
 これってリア充どもが口にする「恋」というものに違いない。経験はないのだが、たぶん間違いない。
 僕の中にはなかった「愛」とか「恋」とかいう感情を今、しみじみと味わっている。何だが変な感じだ。でも、決して嫌ではない。むしろ前向きになれるような気がする。何より最高な気分だ。
 少しずつだけど、勇気を出してみよう。受け入れてくれるかどうかは彼女次第だ。門沢の理想の男になれるように頑張ってみよう。

「ここか、こんな場所にあったのか!」
 ドアが乱暴に開き、一人の女子が飛び込んできた。背が高く、見た目はハーフっぽい。ショートカットで明るい茶色の髪をしていた。
「迷ってしまったよ、僕としたことが。君たち、ここって『火星の墓場』だよね?」
 早口で話しかけてきた。
「いや、ちゃうけど。ここは太陽系第三惑星、地球や。火星は隣の惑星。行くなら地図、書いたろか。えらい遠いでぇ」
 橋本が冷静に対応している。
「違う! バンドの名前だよ。『MARS GRAVE』って『火星の墓場』という意味だろ。僕もメンバーに入れてくれ」
 あ、そう言われればそうだ。僕らが死ぬ頃には人類が宇宙にも進出しているだろうから、墓場は火星に作ろう。そんな思いから適当に名付けただけだ。ただ、バンドの名前を決めたのは誰なのか思い出せない。

「そうでっか。店長、メンバーひとり、入りました!」
 橋本はバイトのやり過ぎだ。仕事中の口調が抜けていない。それに僕を店長と呼ばないで欲しい。
 そういえば『重音部』を立ち上げようと提案したのは僕だ。だから、たまたま、部の申請書の部長の欄に、僕の名前を書き込んだ。その結果、言い出しっぺの僕が部長ということになってしまった。

「僕も『重音部』に入部したい。『軽音部』では物足りんないんだ。僕は紅茶より、上段スウィート・イチゴミルクの方が好きだ。それに、真剣にプロを目指したい。バンドを組んでワールドツアーがしたい。だから、入部されてくれ、店長!」
 身振りが大きいし、声もよく通る。それに、女の子らしくない口調だ。だが、日本的な美少女の門沢とは違い、彼女には欧米人的な美しさがある。
 それに、胸のふくらみは日本人の比ではない。短い制服のスカートから伸びた足は、むっちりと長くセクシーで、目のやり場に困るほどだ。
 ただ、彼女がバンドをやりたがっている気持ちは痛いほど伝わってくる。僕のハートも熱くなる。
「も、もちろん、大歓迎だよ」
 ダブレット端末の入部届に記入してもらう。

 ふと、左の額の髪留めに目がいった。ユニオンジャックをベースに、トレードマークのサソリの絵柄が入っている。
「これって、去年『ザドバリー・ガイズ』が来日コンサートしたときのだね」
 今、世界中で大人気のイギリスのバンドで、僕も大好きだ。
 彼女の髪に触れた。濃い茶色、細く、しなやかな手触りだ。
「そうだよ。日本公演の初日に行った。この学校の『上段スーパー・アリーナ』での公演。すごいパワーで感動したよ。あれこそ本物のロックだ」
「君もか! 僕も行ったよ、初日だ。最初から最後まで興奮しっぱなしで、あの晩は興奮して眠れなかった!」
 あの日、僕も一人で見に行った。受験勉強の息抜きもかねてだが、予想以上の最高のコンサートだった。

「じゃあ、僕たち、同じ日、同じ時間、あの場にいたんだね」
 彼女の瞳が輝いた。奇跡だ。彼女が本当にロック好きなことが伝わってくる。同じ空間にいたというだけで、なぜか嬉しい。
「それって、素敵な偶然だね。何だか運命を感じる」
 僕が言うと、彼女が笑顔になった。とびっきりの美しさだ。
「うん、運命を感じるよ」
 彼女の額に置いた僕の手に、彼女の手が触れた。一瞬、僕の身体中に電流が走った。
「あ、ごめん!」
 慌てて手を離す。
 何と言うことだーーー!!! 自分でも気付かず女子の髪を触っていた。それに僕には似合わないようなセリフを言っている。
 何か、とんでもないことを、しでかしたような気がして罪悪感にさいなまれた。
 今日の自分は変だ。自分が自分ではないような気がする。こんなに積極的になれるとは不思議だ。本当の自分は、山奥の底なし沼のように暗い性格なのに。

「君ってハーフだよね? チョー、ビューティフル。アイ、アム、ナンバーワン、イケメン、ヒア。ナイス、トウ、ミート、アエテ、ウレシイYO!」
 宮山が、0.3秒で復活して、意味不明な言語で話しかけた。
「そうさ、僕の母は日本人。父はニュージーランド人なんだ」
 その女子は、宮山を完全にスルーして、僕の目を見つめたまま言った。彼女の茶色の瞳が僕に何かを訴えてくる。

 何だろう、この気持ちは? ドキドキする。彼女と同じ波長のリズムだ。感じる。それは共振して、針が振り切れだ。
 胸の奥が締め付けられる。音楽が聞こえてくる。激しくアップテンポのビートが。
「私、知ってるわ。女子は、皆、あこがれてる」
 門沢が言った。
「僕も1年生だよ。1年2組」 
「確か、海老名さん?」

 門沢の話では、この学校では、すでにスター的な存在で有名人だという。なるほど、女子校ではよくある「お姉様」的な存在か。
 それにしてはセクシー過ぎて、男子の方がほれてしまう。僕にとっては、インコース高めの、どストライクで絶対に見逃したくないボールだ。
「そうさ、僕はーー」彼女は、華麗に1回転した。ミニスカートが広がり、男子の目が釘付けになる。「海老名・サービス・エリカ!」
 何て、さわやかな響きなんだ。旅の途中、つい立ち寄ってしまいそうな名前だ。地元のおみやげも充実してそうだ。きっと明るく楽しい女子に違いない。

 僕は、がまんできずバットを振ってしまった。ボールは高々と舞い上がり、電光掲示板の僕の名前を直撃した。僕の頭の中でLED照明が砕け散り、派手に火花が散っている。
 好きという感情が抑え切れない。これって人生初めての経験だ。今まで暗闇に覆われていた僕の人生が、急に、まばゆいばかりの光りに包まれーー。
 えっ、あれ? この気持ちって…。
 
 「第2話」

 電車の車体が、大きく左にカーブを切るのを感じて、僕は目を開いた。高校のある駅は、このカーブのすぐ先だ。
 イヤフォンを外すと、ヘビメタの重低音は意外にも軽いノイズとなって周囲に響いた。
 車内は、女子高生たちであふれている。この路線の駅に僕の通う高校がある。当然、この時間帯だと乗客は女子高生ばかりだ。
 僕は、間違って女性専用車両に飛び乗ったサラリーマンのように息をひそめて座っている。
 女子高生たちの話し声や笑い声は、ヘビメタのサウンドより凶暴に響いた。

 電車は10両編成だ。10両目の先頭。進行方向左の最前列。僕は毎朝、決まった席に座わる。目を閉じ、イヤフォンから流れる大音量の音楽で、あらゆる雑音を遮断する。僕ができる、ささやかな現実逃避だ。
「次は、上段高校です」
 車内にアナウンスが流れたとき、ふいにあるメロディーが脳内に飛び込んできた。身体に衝撃が走る。
 車輪とレールがこすれる金属音、女子高生たちのうるさいほどの話し声、そんな騒音の中でも、その曲は、かすかだが、はっきりと聞き取ることができた。

 僕にとって、絶対に忘れることのできない曲だ。息が苦しい。胸が締め付けられ、軽いパニック状態に陥った。
 素早く、車内を見回す。目の前には、短いスカートから伸びた生足の群れがあるだけだ。違う、この車両ではない。車両前面のガラス窓から前の車両を覗いた。
 門沢だ! ガラス越しに流海の姿が見えた。彼女はイヤホンをしたまま、目を閉じて座っている。
 気がつくと、僕はガラス窓をノックしていた。連結部でつながれているとはいえ、二つの車両は完全に独立している。さらに、二枚のガラス窓で完全に遮断されていた。ノックの音が聞こえるはずがない。
 だが、彼女は目を開き、僕の方を向いて微笑んだ。まぶしいほどの笑顔だ。たぶん、僕の顔も、いい笑顔を返したと思う。激しく揺れ動いていた僕の心が、落ち着きを取り戻した。

 僕は、衝動に突き動かされるように言葉を発した。いや、正確には声は出さずに唇を動かした。
「ラ・ベ・ル。ツィ・ガー・ヌ」
 門沢も、うなづくと声を出さずに言った。
「せ・い・か・い」
 伝わった。あまりにも原始的な方法だが、感動してしまった。表情だけで会話できるとは、何て素晴らしいことなのだろう。
 今まで、ちゃんと相手の顔を見て話せる女性は、母親だけだった。だが、門沢と出会ってから、僕は人と目を合わせて会話することの大切さを知った。 彼女がいるだけで、退屈で窮屈なだけの高校生活が、浮き立つような喜びに満ちた世界へと一変した。

「倉見よう、てめぇ! 今朝、門沢と同伴出勤したそうじゃねぇか。俺の流海ちゃんとよう」
 教室に入った途端、宮山が僕の首に腕を回してきた。
 僕たちは1年67組だ。男子3人は、同じクラスに入れられた。ちなみに、門沢は1年1組。海老名・サービス・エリカは、1年2組だ。
 1年生だけで2000人もいるため、クラスが異なると学校内で偶然、出会うことは、まずない。

 この学校は上段市の発展と共に、拡大してきた。このため、学校の校舎や施設は、上段市のあちこちに点在している。次の授業を受けるために、学校内を走るバスで移動することもある。
 体育館だけで8つもあった。プールは6箇所。ネットテレビ局が2局。コンサートホールも巨大なものだけで3つある。
 新入生は、どこに何の施設があるのかを把握するまでに3年はかかるという。

「たまたま、電車内で会ったから、一緒に登校しただけだよ」
 でも、今朝の出来事は、何か運命のようなものを感じる。すでに、彼女は、僕にとって特別な存在となっていた。
「バンドが解散する理由を知ってるか? 売れてて人気があるのにや」
 橋本が、席に座ったまま言った。
「音楽的な方向性の違いだろ」
 最初は、同じ音楽をやってると思ったメンバーたちも、活動を続けている内に、音楽性のズレを感じ始める。
 他のメンバーが作った曲が、自分にはいいと思えない。でもヒットしていて、他のメンバーは喜んで演奏している。それに違和感を感じ、メンバー同士、意見の食い違いが起き始める。自分の作った曲が全然、ヒットしていない場合、メンバーと一緒にいることさえ苦痛になる。そして、それが限界に達したとき、バンドは解散する。よくある話だ。
「アホか! それはマスコミやファンに対する言い訳や。本当は、他の女性アーチストやアイドルなんかをメンバー同士で取り合ってケンカになったからや」
 少し妄想が過ぎるが、完全に否定もできない。

「マジかよ! アイドルと付き合えるのか。そ、それって夢のような話じゃねえかよ! よし決めた『MARS GRAVE』は世界を目指す。だから、お前らも真面目にやれよな。気合いを入れてけ!」
 宮山の場合、動機は不純だが、その驚くべきパワーは正直、うらやましい。実際、この進学校に入学するために、彼は死ぬほど勉強して合格したという。単に、多くの女子と付き合いたいだけでだ。
 単純すぎると言えばそれまでだが、将来、世に出て成功する人間は、彼のように、夢のために実際に行動を起こせる人間なのだと思う。
「倉見は、うちの店じゃ、ナンバー1ホストやな。宮山は全然、客がついてへんぞ」
「ケッ! まだまだだ。俺はあきらめねぇ。流海ちゃんが振り向いてくれるまではチェリーを守ってやる。俺はナンバー1でなくていい。彼女さえ手に入れれば」
 いつから『MARS GRAVE』はホストクラブになったんだ。

「お前は誰でもいいんだろ。100人と付き合えるなら、門沢でなくても」
 僕は不機嫌になった。他の男が門沢と仲良くするのは、絶対に許せない。
「俺はな、業績が悪化したからと言って目標値を下げるような無能な経営者じゃねぇ。大企業のCEOなど俺のエケベ心に比べたら、ただのカスだ」
「じゃあ、他の女子にアタックしろよ」
「ヤだね、今の俺には流海ちゃんしか眼中にねぇ」
 気が付くと、僕は、宮山の胸ぐらをつかんでいた。
「門沢は渡さない!」
 つい大声を出してしまった。

 クラス中の女子が、一斉にこちらを見た。
 自分でも驚いた。こんなセリフ、一体、僕のどこから出たのだろう。急に恥ずかしくなって、手を離した。
「あ、いや、何でもない。ごめん」
 あわてて、その場を取り繕う。
 宮山と橋本も、気が抜けたように黙り込んだ。

 もし、彼女に出会わなければ、僕は死ぬまで心を閉ざして、世間とは隔絶した生活を送るつもりだった。生身の女性は誰も愛さずにだ。
 女性とは無縁で、結婚もせず、家庭も持たず、最後はアフリカゾウが死ぬときのように忽然とこの世から姿を消す。それが理想だった。
 だが、恋という感情を知った今、僕にとって、門沢とエリカは何物にも代えられないほど大切な存在に思える。
 宮山は黙ってイスに座った。橋本も、いつもならツッコミを入れてくるはずだが、沈黙したままだ。
「起立!」
 中年の女性教師が、教室に入って来た。僕も自分の席についた。

 電車を降りてから、校舎の手前で別れるまで、わずか6分ほどだった。でも、その間、いろんな話をした。門沢が好きな映画、門沢が好きな音楽、門沢が好きな小説。
 もっと彼女のことが知りたくて仕方がない。放課後、部室で会うのが待ち遠しいくらいだ
 ハッとして、ペンが止まった。タブレット端末の画面に、空白が続く。
 なぜ、電車内で、あの曲が聞き取れたのだろう。門沢と僕は違う車両に乗っていたし、彼女はイヤフォンをしていた。音楽など聞こえるはずがない。大事なコンクールで失敗したあの曲が…。
 そうか。あの出来事以来、失ってしまった不思議な能力が、4年という長い年月を経て復活したんだ。

 タブレット端末に『門沢流海』と書き込んだ。それは、すぐに数式の列の中に埋もれてしまったが、僕には、その名前が、いつまでも輝いて見えた。
 君のおかげだ。彼女への気持ちが抑えきれない。僕の人生は劇的に変わるはずだ。この能力さえ、あれば。
  
 そうだ…僕には、音楽が見える。

 「第3話」

「門沢、僕はもう、君しか見えない」
「ホントに? 私だけを愛してくれる?」
「もちろんだよ。僕は浮気はしない。絶対にだ。君のことを一生、大切にする」
「信じていいの?」
「誓うよ、他の子とは付き合わない。門沢だけだ」
「もし浮気したら、あなたを殺して私も死ぬわ」
「僕の命は、君のためにある。喜んで死ぬよ」
「嬉しい」
 二人が抱き合い、唇を重ねる寸前で、劇は終わった。

「ええなあ、美少女同士でイチャイチャするとこ見るの。何か、たまらんわ」
 橋本が鼻息を荒くして言った。
 男子3人が見守る中、女子2人が、部室で寸劇を演じていた。
「セリフは、ドラマ好きの32歳、独身OLが、初めてシナリオを書いてみました程度だけど、絵的に萌えるよな。この2人」

 門沢の可憐な美しさと、エリカの華やかな美しさ、どちらも男子には、まぶしすぎる。そんな2人が繰り広げる危ない世界。こんな寸劇なら、金を払ってでも見たい。
「これだよ、これ、俺たち奥手なチェリーが求めているものはよう! エロサイトのエグ過ぎる動画は見飽きちまったぜ。これなら、おかわり3回はできる」
 宮山が、興奮した口調で言った。
 その通りだ。生身の女子にビビリまくっている僕らには、こんなライトなエロこそ、ふさわしい。

「うーん、よし、何か降りてきた気がする!」
 そう言うと、エリカはノートに曲を書き始めた。彼女の場合、恋愛的な小芝居をやらないと曲のイメージが出てこないのだという。
 なるほど、こんな風に曲を書く人がいるんだ。作曲に決まった方法なんてない。人それぞれ、自由に創造すればいい。僕にとっては、まさに目からウロコの出来事だった。

 門沢は、近くの音楽練習センターへと向かった。
 歩いて5分ほどの場所に、18階建ての巨大な建物がある。中には200を超える防音の個室があった。生徒は自分の楽器を持ち込んだり、備え付けのピアノやドラムセットなどで練習をすることができる。
 彼女の場合、ピアノなしでも作曲できるが、毎日、鍵盤に触れていないとカンが鈍るのだという。 
 僕も、同じだったので、よくわかる。小学5年生までは、毎日、5時間はバイオリンを弾いていた。3日も練習を休むと、腕が落ちたように感じたものだ。 

「倉見。我が校のニュースサイトを見てみい。お前の話題で持ちきりになっとるで」
 僕はスマホで『上段ウェブ・ニュース』にアクセスしてみた。
「ダァーーーっ!!!」
 サイトのトップに『門沢は渡さない! ファン衝撃!』とある。教室での宮山と僕のやりとりが、詳細に書かれている。

「なぜ、生徒数6000人の学校なのに、この記事の『ツィート』が258万、『シェア』が142万もあるんだーー!!」
 僕が、宮山の胸ぐらをつかんでいる写真が載っている。撮られたことさえ、気づかなかった。
「どうなってるんだ、この高校は!」
 僕ら男子の言動がダダ漏れになっている。背筋に冷たいモノが走った。これが女子高というものなのか。改めて女子の怖さを思い知った。
「おい、これ画像ソフトを使って加工してあるぞ。橋本が映ってねぇ」
 確かに、この角度だと、橋本が半分、映り込んでいるはずだが、見事に消してあった。スクープ写真としては最高に効果的な構図に仕上げられている。

「な、なあ、変だとは思わないか? 僕たちは監視されている気がする」
 部室の中に監視カメラがないか探してみた。 
「女子のネットでつながりたい願望は異常や。一人の女子が目撃した俺たちの言動は、次々と発信され拡散していく。もう逃れられへんぞ。日本中が、いや、世界中が俺らに注目してるってことや」
「バカな! 僕らは、ただのチェリーな男子高校生だぞ。バンドだって、まだ活動さえしてないのに」
 どこにでもいる15歳にすぎない。ほぼ女子高なので、僕らは、なるべく目立たないように行動している。部室以外の場所で会話するときは小声で、それも周りに人がいないか確認してから話すようにしていた。
 校舎内では、目線を下にしたまま廊下の端っこを早足で歩くことにしている。宝塚の新入生みたいにだ。

 バンドや曲が売れるのはいいが、僕個人が、私生活を切り売りしてまで注目を浴びたくはない。
「それは、無理ってことよ。ここは上段高校、女子どもの帝国だ。男子に逃げ場はない。あきらめろや。逆に、こっちからアタックすりゃあいいだけよ。俺はやるぜ」
 確かに、今まで女子しかいなかった高校に、男子3名が入るとどうなるのか、世間が注目するのは分かる。しかし、自分が当事者となると、話は違ってくる。ネットを通じて、数億人の人々に僕らの言動が覗かれていると思うとゾッとする。恐怖さえ感じる。
 アイドルは、一部の熱狂的なファンから、常に尾行されたり迷惑行為を受けている聞いた。精神的苦痛は耐えがたい程になっているに違いない。自由に街を歩けないし、異性とは会話することさえできない。売れているのに引退する子もいる。
 芸能人の有名税は高すぎる、と常々思っている。でも、僕らは普通の男子高校生だ。なぜ、これほど注目を浴びるのか理解できない。

「もう『門沢と倉見の恋路を見守るスレ』とか『倉見が最初に恋に落ちるのは門沢か海老名か? 予想スレ』みたいなんが、どんどん立ってるみたいや」
「な、なぜだ! どうして僕なんかに注目が集まるんだ! 単なる引き込もりだぞ」
 ネットに依存しきった高校生の実態が、浮き彫りになる。僕もそうだが、ネットから少しは離れた方がいい。第一、迷惑なんだ。この僕が、すごーーーく!!!

「みんな、他にやりたいことはないのか。夢とか野望とか。高校生ならあるだろう。中二病にかかれよ。マンガでも描けよ。魔法を身に付けろよ。霊能者に弟子入りしろよ。呪術師の高専に通えよ。宇宙人にさらわれろよ。ちっぽけな僕らの行動を監視して何が面白い?」
「夢なんてねぇよ。惰性で生きてんだよ。今の世の中、面白いことなんて何ーーーんも、ねぇんだよ。91.8%の高校生は、毎日毎日、退屈な日々を過ごしているのさ。俺の前で、ただ時間だけがムダに過ぎていく。だから、俺は、自分の道を行くのさ。エロだけが俺の活力。駆け抜けるぜ、イェーい! あっ、これ、いけそう」
 宮山も曲を作り始めた。
 何だーーー!!! その、いいかげんな作曲の仕方は。

「僕は、普通の高校生活が送りたいだけだ。注目なんか浴びたくない。やっと見つけた僕の居場所で、穏やかに暮らしたい。静かに、そして、ちょっぴり愛と夢のある生活。そんな毎日を上段高校で送りたいだけだーー!!!」
「ええやん、そのセリフ。魂の叫びや、それで曲を作ったらええ」
 橋本は「ステーキパンを買うてくる」と言うと、部室を出て行った。
 言いようのない恐怖に襲われた。もう、誰も信用できない。この学校に入学したのは間違いだ。他の学校に行けば良かった。女子の怖さは予想以上だ。

 いや、待てよ。それも違う。なぜなら、ここで門沢とエリカに出会うことができた。橋本と宮山ともだ。
 この高校に入学していなければ、引きこもりがちの僕は、他校では孤立して、もっとみじめな高校生活を送っていた可能性が高い。
 「孤立」か「注目」か。究極の選択だ。この学校に入学したこと。これって、僕の運命なのだろうか? これが定めなら、上段高校で何とか生き延びる方法を考えなくてはいけない。自分の身は自分で守る。まずは女子たちの注目を浴びないよう、慎重に行動しよう。
 背景に溶け込むのは得意だ。間違い探しの絵の中の人物のように、息をひそめて生きていこう。

「ねぇ、店長。聴いて」
 エリカが、僕の隣に座り、ノートを広げるとメロディを口ずさんだ。まだ、詩はなく「ラララ」と歌っているだけだが、かなりいい感じだ。
「Bメロからサビに行くところをもっとカッコよくしたいんだ。いいアイデアない?」
「う、うん」
 僕は、少し上半身を後ろに反らせた。
 か、顔が近いんだが。それに、いい香りがするんだが。さらに、彼女のムチムチの左の太ももが、僕の左ヒザの上に乗ってるんだが。この体勢だと、か、かなり興奮するんだが。いけな~い考えが、いっぱぁ~い浮かんでくるんだが。

「俺の海綿体~、イエス。オー、マイ、ビッグモンスタ~!」
 宮山がアコギをかき鳴らし、歌っている。曲はイマイチだが、歌詞がピッタリだ。今の僕の状況に。
「うーん。やっぱり、僕には恋愛の歌詞は書けないのかなあ」
 エリカが、くちびるをとがらせると下を向いた。
 僕は、彼女のアゴに指先で上げ、こちらに向けさせた。
「教えてあげよう、エリカ。なぜ、君に、恋の曲が書けないかを」
「なぜなの? 店長」
「それは、君が、まだ恋を知らないからさ」
 エリカが「うん」とうなずくと、さらに顔が近づいた。今にも彼女の筋の通った鼻が、僕の鼻がぶつかりそうになった。
 エリカが「僕も恋をするよ」と言った。彼女の息が僕の口元にかかる。
「そうだ、それでいい、僕のベイビー」
 エリカの顔が、ほんのり赤くなった。

 ハーーアッ??? 何だ、今のセリフはーーー!!! 歯が浮いて、差し歯が全部とれてしまうようなセリフだ。チキンで奥手の僕から出た言葉とは、とても思えない。
 薄々、気付いていたのだが、どうやら、僕の心には別の人格が存在するようだ。普段は『内気で女子が怖い僕』だが、時折『カッコつけた王子様の僕』が出て来る。
 6000人の女子の中に男子3人という、あまりにも過酷な環境にさらされたために、自己防衛本能が働き『男らしい僕』の別人格が、脳内に形成されたのだろう。
 困ったことに、ニセモノの方は、現時点では制御不能だ。
 
 そ、それに、今の状況、かなりマズい。2人の顔は極限まで接近したままだ。エリカの唇は、つややかでプルンとしていて、キスをして欲しいと迫っているみたいだ。
 どさくさにまぎれて、このままキスに行けるか。エリカの右足が、僕の左ヒザの上に乗っているため、逃げることもできない。

 こ、これって宮山の言う『出された料理』なのだろうか? それとも、単なる『カン違い』なのだろうか。
 頭の中で、素早く恋愛方程式を計算した。料理51% 、カン違い49%と、微妙すぎて判断が難しい数字が出た。
 これは危険だ。もし判断を誤れば、大物芸人のために用意された豪華な弁当を、間違って食べてしまった若手芸人のような絶体絶命のピンチに追い込まれる。まさに命がけの選択だ。

 視線をそらそうと下を向くと、エリカの短いスカートと太ももが目に入った。目が、チカチカする。足の長さとスカートの長さのバランスが絶妙だ。
 スカート丈は、身長、体型、足の長さを考慮した上で適切な長さが決まってくる。女子は、その黄金比率を計算し尽くした上で、男子の気を引こうと企んでいる。
 なのに、男子は、つい手を出して、社会的制裁を受けてしまうのだ。

「ねえ、店長。間奏の部分。ここ、もっとタイトにできないかな?」
 女だーーー!!! 自分では「僕」とか言って男子みたいな立ち振る舞いをしているが、エリカは完全に女だ! 
 制服の短いスカート。そこから伸びる長い足。15歳の男子にとって、これほど危険な服装はない。

 これは、3歳児の目の前にアイスクリームを置いて「まだ、食べちゃダメよ」と言って立ち去るようなものだ。3歳児なら、間違いなく食べてしまうだろう。
 子供なら「どうして、勝手に食べたの?」と聞かれたら「だって、とけちゃうもん」と答えればいい。大人は笑って許してくれる。

「どうして、スカートの中に手を入れたの?」
「だって、中に子猫がいると思って」
 いやいやいやいや、そんな言い訳、15歳の僕では通用しないぞ。
 社会から変態というレッテルを貼られてしまう。そして、それは一生、剥がすことのできない重い罪となる。 

「倉見、どんどん曲書けや。このままだと『上段音楽祭』や『上段・夏フェス』に間に合わねぇ」
 背中を向けたまま、宮山が言った。
「わ、わかってる。今、書いてるよ」
 僕は上の空で答えた。
 曲なんか、何ーーんも浮かばない。エリカの色気に頭がクラクラする。
 鼻歌を歌いながら、エリカは真剣に歌詞をノートに書き込んでいる。無防備すぎる彼女の振るまいに、僕は完全に集中力を失っていた。

 なぜ、男は女子高生のスカートの中に興味を持つのだろう。『小学校教師が女子高生のスカートの中をスマホで盗撮!』とかいうニュースをネットでよく見る。
 中学校教師、高校教師も、そして、テレビで真面目にコメントしていた大学教授までもだ。
 女子高生のスカートの中のナゾを解いてはいけない。それが、この世の掟だ。分かり切っているのに、なぜ、男どもは同じ過ちを繰り返す。
 しょせん、男はスケベだ。職業など関係ない。我慢できるかどうか、紙一重の危うい心理状態で僕たち男子は、日々、本能に抗(あらが)って生活している。
 なのに子孫を残すにはスケベでなくてはならない。なぜなら、子供を作ることが生物の最も重要な使命だからだ。
 くそっ! 世の中、矛盾だらけだ。

 それにしても、女子高生のスカートの中は、一体、どうなっているのだろう。男子にとっては永遠のナゾだ。
 あの中には、きっと素晴らしい世界が広がっているに違いない。果てしない宇宙があるのかも知れない。異次元の空間があるのかも知れない。見たこともないパラダイスが存在するような気がする。
 僕は、そのナゾを解明しようとする科学者だ。『緊急特番! 倉見涼のニュース解説。女子高生のスカートの中、その魅惑の世界を徹底調査。3時間スペシャル!』
 そうだ。これなら高視聴率が期待できる。いや、ダメだ! 今時、こんな企画が通るわけがない。

 ま、マズい、どうしても視線がエリカのスカートと太ももへと行ってします。僕は『般若心経』をとなえながら、必死に落ち着こうと試みた。
『色即是空』『空即是色』あーーっ! どちらも『色』っていう字が入っている。エリカは色っぽい。逆効果だ! 
 両手をポケットの中に入れ、天井に描かれた規則正しいドット模様を眺めることにした。それは何だか無数のオタマジャクシに見える。

「倉見、いい曲を思いついたぜ。これはどうだ?」
 宮山が来て、アコギをかき鳴らした。
 危なかった。もう少しで『上段ウェブ・ニュース』に『倉見、チカンで逮捕、15歳の欲望! やっぱり男子って最低!』と載ってしまうところだった。
「じゃあ、店長もがんばって」
 エリカが、僕の右肩に、胸を押し付けるようにして立ち上がった。柔らかく、かつ弾力性がある物体の感触が、僕の身体中を駆け巡った。
 ワザとなのか、今のは!!! 太ももだけでなく、今度は胸まで! 神は、僕に、さらなる試練を与えようとしている。エリカの心はまったく読めない、というか、僕には女子の考えることが全然、理解できない。

 姉か妹がいれば、その行動を見て参考にできるのだが、残念ながら僕は一人っ子だ。これは困った。女子の心が分かる参考書はないのか。『チェリーな男子でも分かる、女子高生の心理』を誰か書いてくれ!
 事態は深刻だ。こうなったら、もう手探りで恋愛偏差値を上げていくしかない。何事も経験から学ぶのだ。多少の失敗は覚悟しておこう。そして、いつの日にか門沢やエリカとも、ちゃんと向き合えるような立派な男子になってみせる。
 フラれたっていいじゃないか、チェリーなんだもの。

「ウォー、ウォー、俺は筋金入りのチェリー、教えて、恋の呪文を。この恋が実る魔法を。オーマイ ビッグモンスター」
 宮山が歌っている。お前の曲は、今の僕にぴったりだ。心に響く。ただ『がまん汁』というタイトルは変えろ!

 「第4話」

「涼って、本当に音楽的才能があるんだね。あの曲が聞き取れるなんて」
 何て気持ちいいんだ。門沢が僕のことを「涼」って呼ぶ。まるで恋人同士みたいじゃないか。これから素敵な恋愛ドラマが始まる予感がする。
「あの曲はトラウマになってるんだ。嫌でも聞こえる、というか感じてしまう」

 二人は並んで立っている。僕は、電車の10両目から、前方の9両目へと移動していた。距離にして1メートル足らず。人類にとっては、どーでもいい一歩だが、僕にとっては偉大なる一歩だ。自分から女子に接近するなど、今までの人生ではあり得ないことだった。
「今でも、あの曲、弾けないの?」
「あの曲というか…。もう、バイオリンには触れることさえできない。精神的に、ちょっとムリかな」
「才能があるのに、もったいないわ」

「今はロックの方が好きなんだ。クラッシックからは、なるべく離れたい」
 弱気な心を鼓舞するには、ロックこそ、ふさわしい。
「でも、いつか、弾ける日が来ると思う。私は待ってるよ、バイオリンを弾く涼と一緒にピアノを演奏できる日を」
 僕は首を振った。そんな日が来るとは思えない。10歳のときに負った心の傷は深すぎて、どんな名医でも治すことなどできない。

「私を見て」
 門沢が、僕の顔を見上げた。僕も門沢を見つめる。
「涼とは、心が通じると分かったの。音楽的に共鳴するというか」
 どこまでも澄み切った彼女の瞳を見ていると、ささくれ立った僕の心が、すーっと滑らかになっていく。
 門沢にはヒーリングパワーがあるようだ。彼女が一緒なら、乗り越えられるような気がする。
「私は離れたりしないよ。この高校での3年間は」
「そう」 
 できれば、大学生になっても。できれば、社会人になっても。そして、できれば、門沢のウエディングドレス姿を見てみたい。バージンロードの途中には僕が立ち、彼女の父親から門沢を託されたい。

「門沢って、いつからバイオリンを始めたの?」
 僕はまだ、彼女のことを「流海」とは呼べない。距離はかなり縮まったと感じるのだが、気安く話せる関係までには至っていない。
「最初はピアノを習ってたの。バイオリンは、あるきっかけで始めたの」
「きっかけって?」
「いつか話すわ。それより、曲はできてる 来月は『上段音楽祭』よ」
 そうだった。『上段音楽祭』は『上段スーパー・アリーナ』で行われる。学校の敷地内にある日本でも屈指のコンサートホールだ。

 学校経営は、少子化で苦しくなる一方だ。そこで、上段高校では新たな収益を得るために、民間企業と協力して大規模な施設を次々と建設した。
 5万人収容の『上段スウィート・イチゴミルク・ホール』8万人収容の『上段ドーム』そして12万人収容の『上段スーパー・アリーナ』だ。
 東京ではコンサートを行う場所が不足している。3つの施設とも、たちまち評判となり、連日、アーチストたちがコンサートを行うようになった。
 世界中のアーチストが、いつかは上段高校の3つの施設での単独公演を夢見ている。規模はもちろんだが『上段ストリーム』で世界中にネット配信されることが重要なのだ。
 最先端の技術で、スマホを専用のヘッドセットに装着して視聴すると、どこにいても会場にいるような臨場感を味わうこともできる。

「なぜか、歌詞が上手く書けない。以前なら、どんどん書けたのに」
 僕の場合、歌詞を先に書いてから、そのイメージに合う曲を作る。
「焦らないで。もっと気楽にやればいいよ。私は、映画を観たり、本を読んでいるときに、ふと、メロディが浮かんでくるの」
「そうだね。曲を書こうと必死になるほど、逆に何も浮かばない」
 僕が、うなづくと、門沢が微笑んだ。目がくらむほど、まぶしい。この笑顔を独占したい。心からそう思った。

 車両がきしむ音がして、電車が左に大きくカーブを切る。僕の腕に、門沢の肩が当たった。制服越しだが、彼女に触れている。それだけでも、僕は十分、幸せだ。
 電車の扉が開くまで、僕たちは、寄り添ったままでいた。

 今朝、朝食を食べているとき、母が僕の顔をのぞき込むと、ニヤリとした。
「学校、楽しそうね」
「え、普通だよ」
「普通って言うところが違うわよ。中学時代は最悪って言ってた。それに、登校前は、ゾンビみたいに表情が暗かった。でも今は明るくなった」
 そうか、中学時代は学校に行くのが嫌で、朝は死刑囚みたいな気分になっていた。
「さては、彼女でもできたのかな?」
「そんなこと、ないよ」
 とは言ったものの、母親にはバレてる。母親なら、息子の心の中は、ちゃんと読めるものだ。
「友達ができた。4人も」
「よかったじゃない。上段高校に入って」
 母とは何でも話せる仲だ。しかし、マザコンではない。中学時代、学校では誰とも会話しないので、家では、しゃべりたくてしょうがなかった。
 僕の母は医師だ。患者さんを診る臨床医ではなく、大学の研究所で研究医をしている。iPS細胞を使った再生医療が専門だった。

 僕は母と二人で、東京郊外の2LDKのマンションで暮らしている。
 父親はいない。父は外科医だった。でも、僕が小学5年のときに、両親が離婚した。父は、母と僕を捨てて家を出ていってしまった。今は、不倫相手の女性とその娘と一緒に、大阪で暮らしているようだ。
 子供だった僕に、詳しい理由は知らされなかったが、父が女性看護師と浮気したことが原因らしい。
 自分の両親の失敗を見て、僕は結婚などしてはいけないものだと思い込んでいた。恋愛など、もっての他だ。

 結婚して一緒に生活し始めると、お互いの嫌な部分がやたらと目につくのだと聞いた。様々な面で妥協することで、何とか家庭という形態を維持しようと夫婦は試みる。しかし、どちらかの不倫で夫婦の我慢が限度を超えたとき、愛は憎悪に変わる。
 結局、一番、割を食うのは子供だ。離婚するなら結婚なんてしなきゃいいのに。一生独身でいさえすれば、そんな面倒なことに巻き込まれることはない。
 だから、僕は女子を好きになるなどありえないと信じていた。門沢とエリカに会うまでは。

「涼が明るくなって嬉しい。ずっと心配してたから」
 それは、よく分かってる。中学校では、よくイジメにあった。ときには僕も反撃してケンカになり、顔にアザを作って帰ることが、よくあった。
 そんな僕を心配して、母は女子しかいない上段高校への進学を勧めた。
 僕も、共学や男子校に行って、男子から暴力を受けるのは嫌だった。耐えられないかも知れないと思い、結局、上段高校を選んだ。女子は苦手だが、少なくとも殴り合いのケンカになることはないだろう。

「一度、連れて来なさいよ。お母さんも会いたいから」
「いや、まだ、そんな…」
 と言ったものの、頭の中では、門沢の顔が、しっかり、くっきりと浮かんだ。と同時に、エリカの顔も、負けず劣らず、その存在感を誇示していた。
 なぜだ? どうして僕は、優柔不断なのだろう。どちらかを選べない。これでは父親と同じではないか。

 父親が家を去った後、親戚のおばさんたちが「男の浮気って、遺伝するみたいよ。あの人の父親も離婚経験があるのよね。60過ぎてから再婚したなんて、ねえ」と話していた。
 父親の影響? いや、そんなはずはない。僕は父親が大嫌いだ。憎悪さえ感じる。母と、息子の僕を裏切ったことは絶対に許せない。
 父は物知りで、いろんなことを教えてくれた。大好きだった父に捨てられた。それは当時10歳だった僕の心に、致命的な傷を残した。今でも立ち直れないほどのだ。

 だが、今、僕が直面している問題は父親と同じものだ。二人の女子を同時に好きになって、僕は前向きな性格に変わりつつある。その一方、心の奥には言いようのない不安を感じていた。
 このまま行くと、どうなるのだろう。僕は、どちらかと付き合い、もう片方を遠ざけてしまうのだろうか。
 バンド内は恋愛禁止にした方がいい。もし、付き合う相手を門沢とエリカのどちらかに決めてしまえば、バンドは空中分解してしまう。それだけは絶対に避けたい。

「倉見ーー!! また、お前だけ同伴かよ。どこまで行ってるんだよ、二人は? 教えろや」
 宮山が、腕を僕の首に回し、からんできた。もう慣れっこになった僕は、軽く受け流す。
「あれ、これって新刊?」
 大好きなサッカーマンガの新刊が、橋本の机の上にあった。
「そうや、今朝、買うたばかりや。倉見も、このマンガ好きなんか?」
「ああ、ついに、インターハイでの戦いだよな。やっぱ、ボランチの佐倉がいいよな。彼がチームに安定感をもたらしている」
 橋本は誰のファンなのか、聞いてみた。

「佐倉の姉の日菜子やな。タコ焼屋の酒々井と結婚して、ニューヨークでチャンポンの店を開いて大富豪になるところは泣けるわ、ホンマ」
 え、そこ? このマンガ、熱血スポーツ物なんだが。それに、酒々井って、一瞬しか出て来ないチョイ役のキャラに過ぎない。

「そ、そう。じゃあ、後で読ませてくれよ」
 同じマンガでも、人によって面白いと感じる点が全然、異なるのだと知った。いや、橋本の方が変なのだ。そうに違いない。
「ええけど。なあ、倉見。宮山が、また自分の勝手な説を押し付けてきたで」
 宮山は『世の中で、一番、絵が上手いのはアニメーター説』を発表したという。
「何だよ、それ?」
 ピカソとかゴッホとかと比べる方が間違いだと思う。
「マンガの原作の絵と比べてみろや、一目瞭然だろうが。マンガ家は若いから、まだ絵が安定してねぇ。しかし、アニメーターはおっさんやおばさんが多い。それに、毎日、クソみたいに動きのある絵を描かされる。当然、デッサン力はハンパない」
 確かに、マンガ家はストーリーを作ることに重きを置いている。その一方、アニメーターは、原作の絵があるので、それを元に更に上手く描くことができる。海外のアニメーターが持っていない『萌え』の要素も上手く活用できている。

「アニメーターはよう、若者の好みをしっかり把握していてるから、より萌える美少女を描けんだよ。それにミニスカートの場合、この角度ならパンツが見えるはずなのに見えねえ。これもスゴ技だ。とにかく、アニメーターのおかげで、俺たちはオカズの心配はねぇってことよ」
 宮山はマンガの原画とアニメの絵とを、タブレット端末の画面に比較表示したものを次々に見せた。
「おお、なるほど!」
「ホンマや!」
 確かに、絵に限って言えば、アニメーターの方が上だった。
「だろ? これも『宮山総研』調べだ」
「『宮山総研』って、勝手に、そう名乗ってるだけだろ。研究員は何人いるんだ?」
「俺が創立した。研究員は俺だけだがよ。情報をくれる友だちが46人いる。この体制で、関東の女子校の美人偏差値から、金が稼げるバイト情報まで、何でも研究してる。今なら、お前らも、うちの研究員になれんぞ」
 面白そうだが、断る!

「また、よう手広くやってんな。国の研究機関も顔負けやがな」
「うちの情報は、今、学生が使えるものばかりよ。国や大企業が研究してるのは、俺たち高校生には何の役にも立たねぇことばかりだ。だから、俺が研究所を作った。高校生のためのな」
「でも、サンプルが46人って、少なすぎるんじゃ?」
 あまり参考にはならない気がする。
「テレビの視聴率なんか、たった300世帯の情報にすぎねぇ。統計学を駆使すれば、少ないサンプルからでも正確な結果が出せるっもんよ。長年の経験だ」
 統計学だと? そもそも宮山の友だちって平均的な高校生なのだろうか? チャラい連中だけだと偏った結果が出る恐れがあるのだが。

「他にもあるぞ『昔の美人は、美人じゃねぇ説』が」
 宮山は『源氏物語』のさし絵。『見返り美人』『麗子像』などを次々とタブレット端末で見せた。
「『見返り美人』なんか、どこが美人なんだよ。笑わせんなよ。『麗子像』はよう、自分の娘なんだから、もう少しかわいく描いてやれよ。かわいそうじゃねぇか、これじゃあ」
 確かに『見返り美人』は、ちょっと首を傾げる。『麗子像』は、モナ・リザをヒントに描かれた絵だ。その手法を取り入れて描かれたので、あんな感じになっただけだ。
「俺の予想じゃ、小野小町もブスだと断言できる。とにかく、昔の美人なんて、アイドルのオーディションだと書類審査の段階で落とされる。間違いねぇ」
 昔の美人は、オーディションには応募しないと思うが。

「時代によって、美しさの基準は違うだろ」
 今、超絶美人で人気を集めている女性アイドルも、30歳くらいになると「うぁー、俺の○○が30歳かよ。劣化した!」とファンに言われてしまう。それも40過ぎのおっさんにだ。
「女子を顔だけで判断せんとけや。今に痛い目に会うで」
「そうそう。気をつけないと、女子から反撃がくるぞ。ここでは男子は完全にアウェーな存在だからな」
「じゃあ、お前はどうなんだよ。門沢は美人じゃねえって言うのか? エリカは?」
「それは…」

 返す言葉がない。確かに門沢もエリカも美しい。でも、それだけが僕が好きになった理由ではない、と思う。苦手だった女子を好きになるくらいだから、何か特別な魅力があるに違いない。上手く説明できないが。
「まあ、そうやな。人間なんて、しょせん、見かけで人を判断しとるからな。美人な方が、断然、お得って訳や。男子も、ほっとかんし」
「どうだ、俺の説が正しいだろ。じゃあよう、お前ら、うちの研究所に入れや」 
 そんな訳で、宮山の説は証明された。今日から僕も研究員だ。
 
 恐るべし『宮山総研』!!!

 「第5話」

「おおー、俺たちの部室が活気づいて来たじゃねえか」
 広い部室に、マイクやアンプ類が設置された。
 門沢のために、学校にあった古いグランドピアノが運び込まれた。古いといってもアメリカ製の名器だ。かなり高価な逸品なのは間違いない。新品同様に磨き上げられ、調律も済ませてある。
 橋本は、DJブースに自宅から持って来た機材を置いた。CD用のターンテーブルが2個付いたやつだ。さらに、パソコンやUSBメモリーと繋ぐことで、無数の曲が利用できるという。
「ここから直接、ネットにつないで演奏を世界中に配信することだってできるんや」

 上段高校には、ネット上に番組を配信する『上段ストリーム』と番組を作る『コンテンツ制作部』がある。
 視聴者登録数は約6億人。当然、CMが入るが、数十カ国の言語に同時通訳され、世界中のスマホやPCに無料で配信されていた。
 この事業だけでも、学校は莫大な収益を上げている。世界中のアーチストが出演する『上段音楽祭』には多くのスポーンサーがつくため、多額の資金が集まる。
 オワコンのテレビにCMを流しても宣伝効果が出ないことを知った企業は『上段ストリーム』を頼ってくるようになった。番組は、ネットを通じて配信されるので、世界中の大企業がCMを流して欲しいと殺到している。

「これで、思いっきり演奏できるね。マスターリングも僕たちでできるよ、店長!」
 エリカが興奮した口調で言った。
「ああ、これで設備は整った。世界中の人々に『MARS GRAVE』を知ってもらえる」
 部室が完全防音に改築されたため、大音量で音を鳴らすことができる。レコーディングも可能だ。
「でも、とにかく曲を作ってヒットさせないと」
 門沢が言った。
 『上段音楽祭』の開催日まで、もう1ヶ月を切っている。

 僕は愛用のエレキギターをアンプにつないだ。ドキドキしながら、スイッチを入れる。低く、うなるような音がする。
 自宅では大きな音を出すことができないため、いつもヘッドフォンをして小さな音で弾いていた。アンプに接続して音を出すのは、これが初めてだ。

 まずはチューニングのために、コードを弾いてみる。突然、爆音が部室中に響き渡り、僕は飛び上がった。あわててボリュームをゼロにした。
 弾きながら、ちょうどいい音量にまで上げて行く。部室の広さに合わせて抑えめの音だが、迫力は十分だ。
 ギターソロ用に作曲したメロディーを次々と披露した。身体中に音のシャワーを浴びているようで、震えが来るほど気持ちいい。

 エフェクターを次々に使ってみる。ひずみ系のディストーション、オーバードライブから試して、望み通りの音を探し出した。
 慣れてきたので、様々な奏法で弾いてみる。頭に思い浮かんだサウンドが次々とアンプから出て来た。
 アンプからの音が空気を振動させ、直接、耳の鼓膜へと届いていた。最高だ! これが、僕の求めていたロックだ。
「すげぇー、やるじゃあねぇか、倉見!」
「店長って、すごいテクを持ってるんだね。カッコいい!」
「ええ音や。ロックしてるやんか、少年」
「さすがね、涼。弦楽器に慣れてるわ」
 メンバーが身体を揺らしてリズムに乗っている。僕もノリノリで演奏を続けた。最初の感触としては上出来だ。
 息が上がってきた。音に酔ってしまったようだ。やはり、ロックって最高だ。

「ほな、皆も、演奏を始めよか」
「ひとりずつ、作った曲を発表してみようよ。まずは僕から」
 エリカがエレキギターを持ちマイクの前に立つと、他のメンバーが「おおー!」と声をもらした。
「絵になるやんか! エリカちゃん、最高や! バンドにはビジュアルも大事や。イケてるで。これなら売れるわ」
 橋本の鼻息が荒い。
「やっぱよう、背が高くてスタイルがいいと決まるぜ。ふとももがエロい」
 宮山は、スマホで動画を撮影し始めた。
 女子高生とエレキギター、何て素敵な組み合わせなんだろう。エリカのギターは光沢のあるワインレッドだ。
 制服のミニスカートから伸びた長い足がより強調されて、ぞくぞくするほどセクシーだ。紺色のニーハイソックスが、さらに男たちの興奮を煽る。

「いくぜ!」
 ギターでコードを鳴らしながら、エリカが作曲した曲を歌う。迫力のある声だ。高音の伸びが素晴らしい。
 歌詞は、まだ完全にはできていないので、ラララと入れている場所もある。でも、明るいアップテンポの曲で、すごくノリのいい感じに仕上がっていた。
「イェーイ! いいよ、いいよ、エリカちゃん!」
 宮山が興奮して、スマホをエリカの太ももに近づけた。
「宮山! どこ撮ってんねん。さがれや」

 歌詞は日本語と英語が半々だった。彼女の英語の発音はまさにネイティブだ。これなら世界に売り出せる。予想以上だ。
「エリカ、すごい声量だね。ロックにぴったりだ。君は、バンドのシンボルだよ」
 拍手で迎えた。リードボーカルとしては、まさにうってつけだろう。彼女を中心にバンドのイメージを考えればいい。

 次に、門沢がピアノの前に座った。
 彼女の姿が神々しく映る。エリカがロックの歌姫なら、門沢はクラッシックの女神だ。
 彼女の両手が鍵盤の上を舞う。和音を鳴らながら、メロディーを引き出すように動いている。やがて、曲を探り当てたかのように、イントロが流れ出した。
 出だしからいい。作曲の基礎がちゃんとできている。安定した旋律だ。

 歌い出した。やや低めで、やさしい声質が耳に心地よい。発声の練習を積んだ声だ。聞いてるだけで、心が、いやされる。
 アップテンポの元気な曲から、女心を歌った切ないバラードまで数曲を披露した。
 いい、良すぎる! これなら男子はもちろん、女子のハートをトリコにすること、間違いない。
 エリカのハードロックの歌い方とは違い、女子の繊細な心情を表現した歌い方だ。
 僕たちは、惜しみない拍手を門沢に送った。

 宮山がアコギをかき鳴らし歌う。少しクセのある歌い方だが、妙にいい味を持っていた。
 宮山が作った『俺は、サイコーでサイテー!』という曲は『がまん汁』のタイトルを変えたものだ。これはこれで個性的で、いい曲だと思う。少し手を加えれば、彼の個性も十分に活かせるだろう。
「宮山君ってパンクっぽい。少し古い感じだけど、私は好き」
 門沢が言った。
「だろ、これは流海ちゃんを想って作った歌だよ~ん。気に入った?」

 宮山君か、僕は涼って下の名前で呼ばれている。門沢からすれば、宮山より僕との距離の方が近いということだ。しばし優越感に浸る。
「何か、大昔のフォークソングに近いかも知れへん。でも、それがエエ感じになっとる」
「大昔って70年代から80年代とかだろ。僕の祖父が聞いてたやつだ」
 祖父からもらったレコードが300枚くらいある。聞いてみると、いかにも古くて安っぽいサウンドだが、逆に僕には新鮮に感じられた。

 橋本は、編曲が担当だ。曲をより効果的なサウンドへと加工していく。
 橋本はDJ用の機材を持ち込んでいた。2枚のCDを同時にかけながらDJとしての腕を見せてくれた。
 アップテンポのリズムが流れてきた。橋本の手が、指揮者のように自由自在に音楽を操っている。
「このスライドを左右に動かすと、2台のCDプレイアーの曲の音量をコントロールできるんや」
 右に行くと右のプレーヤーの音が大きくなる。左だと逆だ。真ん中だと、両方が同じ音量になる。
「CD以外からも、パソコンやUSBメモリーに取り込んである曲を使えるんや。数千曲もある。どんな音でも作れるで、すごいやろ」

 タブレット端末やスマホとつながり、その画面からでも操作できるという。
「へえー、スマホでエフェクトもかけられるんだ」
 技術の進歩には驚かされた。
「できるで、エコーとかフランジャーとかや」
 橋本がスマホの画面を指でなぞるように動かすと、音のイメージが自由自在に変化していく。
 すごい、まさにサウンドの魔術師だ。DJの仕事は知っていたけど、実際に見るのは初めてだった。次々と繰り出されるビートに僕たちは夢中になった。
「やるじゃねぇか、橋本。顔は、ただのおっさんみたいなのによう、クラブっぽい音も出せんだな」
「見た目に文句つけるな、アホ! この普通の顔から繰り出すサウンドで観衆を熱狂させてみせたる。俺は自分のスタイルは絶対に変えへんぞ!」

「橋本君は、サングラスをかけた方がいいよ。これなんか、どう?」
 エリカが、スクールバッグからサングラスを取り出した。フチの部分が白、レンズが黒だ。
「ホンマ! くれるの、俺に? ありがとな」
 橋本が、嬉しそうにメガネを外し、サングラスをかけた。キャバクラ嬢からのプレゼントに喜ぶ中小企業の社長みたいだ。
「ほらね。似合ってるよ。別人みたい。どうせなら、髪を立てたらカッコいいと思うよ」
 橋本が、今度は髪を逆立て始めた。さっき、スタイルは絶対に変えないと言ってたはずだが。
「おー、長年、社会の裏の部分を見てきたDJみたいじゃねぇか。芸能界の暗部を知りつくした男って感じだぜ」

 橋本は、よほど気に入ったのか、鏡に映して自分の顔の変化を確認している。
「エリカちゃん、ホンマ、おおきに! お礼にマンションでも買うたるわ。タワマンの最上階、全部な」
 橋本の場合、本当にやりかねない。
「似合ってるからいいけど。ステージ上は暗いぞ。ちゃんと見えるのか?」
「DJ用の機材は暗い場所で使うことを考慮して、いろんな所が色鮮やかに光るんや。それに、俺は手探りでも操作できるで」
 橋本は、本番ではコンタクトレンズを入れ、サングラスをかけ、髪を逆立てることに決まった。実に、あっさりとだ。
 やはり、バンドにはDJがいた方がいい。音の質感や厚みが全然違う。アレンジは彼に任せれば完ぺきだろう
 
 歌うのは久しぶりだった。一人カラオケにはよく行ったが、一年以上も前のことだ。メンバーの前とはいえ、人前で歌うのはやはり緊張する。
 アコギを弾きながら、自分の声質に合ったJ-POPを何曲か歌う。
 バイオリンを習っていた頃、声楽のレッスンも少し受けた。あのときのカンを取り戻そうとしたが、声変わりした今、自分の声が他人のモノのように聞こえる。
 まだ高音は上手く出せない。発声の練習は毎日するように、と先生に言われたことを思い出した。 

「ほうー、倉見が歌ってる声、初めて聞いた。しゃべっている声は死んどるけど、歌声は、中々、ええ感じやん」
「涼の声って、少年ぽくて大好き。何か、かわいい」
 門沢からほめられると、やはり嬉しい。
「ロックじゃないよね。J-POPっぽい」
 照れながら僕は言った。
「ロックだよ、店長! 聞いてて、すごく心地いいもん」
 エリカからも認められ、少し自信が持てた。
「これか! これに女子どもはダマされるんだな。その母性本能をくすぐる甘い声によ。サギじゃね。かなりのおばさんなのに、女子高生の声を担当している声優みたいじゃねぇかよ」
 だから声優は、すごいんだよ。

「まあ、キャラに合った声が一番やな。倉見の声は、お前にしか出せへん。ええと思うよ、俺は」
「店長の声、女子にウケること間違いなしだよ」
「ありがとう、僕のプリンセス」
 あっ、クソっ! まただ。勝手に王子様キャラが答えてる。しかも、門沢の前で。
 僕は、SNSの裏アカウントを明かされた芸能人みたいに、あわててしまった。
「えーと、まだ発声練習をしないとダメだな。ブランクが長すぎる。頑張るよ」
 こっそり、門沢の表情を確認したが、特に変化はない。気付いないフリをしているのだろうか。内心ヒヤヒヤだ。

「それから、バンドのテーマとか決めとく?」
 皆を見回しながら言った。彼らなりのアイデアがあるなら聞いておきたい。
「テーマなんて決めて、どないすんねん。各メンバーの長所を持ち寄って、曲作りをすればええやん」
「私も、その方がいいと思う。個性を尊重しましょう。いろんな曲を出して行けばいいわ。男女混合のバンドの場合は、特に」
 門沢の意見に、全員がうなずいた。
 男女混合? 僕は必死で、その言葉の意味を掘り下げていた。何か裏の意味が隠されているのではないか。これは、僕に対する警告かも知れない。
 女子が二人いる。僕は両方とも好きだ。それがバンドの破滅につながりかねない。ヘタなマネをしたらタダではおかないと。
「そ、そうだね、じゃあ、曲を発表していく内に、いろんなカラーを持ったバンドだとわかる。それでいいか」
 バンドのイメージは、聴く人が決めるものだ。こちらから明確に打ち出す必要などない。  

「ロックとクラッシックの融合なんて、いくらでもあるやん。そやから、各自が好きな曲を作って、みんなで聴いて演奏するかどうか決めようやないか」
 橋本の言葉に、全員が賛成した。
 つまり、僕たちはバンドとして活動しているが、ソロの集まりでもあるということだ。将来『MARS GRAVE』が解散したら、僕らは個々に活動を続けることだろう。
「まあ、当分はないけどね」 
 
 皆が作った曲の中から、最終的に3曲を選ぶことにした。
 門沢、エリカ、宮山が作詞作曲した曲を1曲ずつ選んだ。アレンジは橋本。
「どないした、倉見? お前が、一番、頼りになると思うたんやが」
「悪い。なぜか、曲ができない。メロ先は苦手なんだ。とりあえず、僕は、エリカの曲に詩を付けるのを手伝うよ」
 『上段音楽祭』は生放送なので時間厳守だ。各バンドが3曲ずつ披露することになっている。演奏する3曲が決まり、編曲は橋本に任せる。
「ほな、曲を完成させてや。出来たら俺がアレンジするよって」

 僕はエリカの隣に座わり、作詞を手伝う。
 二人だけ机に座っていた。残りのメンバーは、自分の立ち位置で曲を作っている。ピアノ、アコギ、それにDJのサウンドが重なって聞こえてくる。
「ここは『好き』にした方がいいよ。シンプルに」
 僕は、エリカにアドバイスした。
「そうだね。『愛する』だと重いかな」
 どうしてエリカは、隣に座ると、僕のヒザに自分の足を絡ませてくるんだろう。理由を知りたいのだが、自分からは怖くて聞けない。
 そうだ、これは単なる彼女のクセなのだ、と自分に言い聞かせる。カン違いして、おかしな行動をしないように、くれぐれも自制することにしよう。  
「エリカの歌は、前向きな歌詞だね。好きな相手には、どんどんアプローチしていく。そんな感じだ」

 彼女は、下の名前のエリカと呼べるのに、門沢は流海と呼べない。これって、親密度の差なのだろうか? いや、そんなはずはない。僕にとって、エリカも門沢も同じくらい好きなのだが。
 エリカがさらに身体を密着してきた。必死で譜面を見つめる。ミニの制服から延びた太ももが気になってしかたがない。
「こ、ここは『好き』、ここは『恋』、ここは『まぶしい』、そして、こ、ここは『震える気持ちを抑えて』にした方が、いいと思うよ、うん」
「さすが店長、いいセンスしてるね。僕は英語の歌詞なら得意だけど、日本語で歌詞を書くのは苦手」
 視界の中で、エリカが僕に熱い視線を送ってくるのが分かった。あえて目を合わせないようにした。もし、今、あの王子様のクソキャラが出現したら、この世は終わる。

「『恋』とか、『好き』とか、まさに青春やな。俺が大好きな言葉や」
 橋本が、DJブースから言った。
「なあ、橋本。『青春』なんて言葉は古いんじゃねぇ。誰も使わねえぞ、今時よお。『アオハル』なら聞くけど」
「ホンマに? 使わへんかなあ」
「だいたいよう『青春』というのは、おっさんの作詞家によって作られた妄想に過ぎねぇって」
 『宮山総研』の研究報告だと、高校生は勉強、クラブ活動、バイトに忙しく、3年間など、あっという間に過ぎてしまう。多くの高校生は、楽しい思い出は少なく、辛く、嫌な思い出しか残らないようだ。

「だからよう、ジジィになってから、昔を振り返り、そう言えば、自分には青春に当たるものがなかったなあ、と後悔する。そのあげく、青春という非現実的な世界を勝手に創り上げるって訳よ。所詮、年寄りの妄想だ」
 なるほど、その説も間違いではない。ただ、僕は今、女子を好きになることで、ドキドキする日々を送っている。これは僕にとって最高に幸せなときなのだと思う。
「アイドルの曲を見れば分かるだろうが。作曲は、おっさん。作詞も、おっさん。編曲までも、ぜーんぶ、おんさんとおばさんだ。それを若い連中が聞いて、ああ、これが青春なのかと錯覚してしまう。でも、そんなもんは存在しねえ。これが真実よ。俺の研究報告おわり」

「それはそれで、商業ベースとして成立しとるから、ええねん。俺らも、その手で儲けようとしてるやないか。ちゃんと経済の活性化に貢献しとるやろ」
「私たちなら、自由に恋の歌を歌ってもいいと思う。誰のためでもなく自分のためにね。自分の想いを歌にしているだけよ」
 門沢が言った。
「そうだよ。ただ、自分が、今、青春してるなんて自覚のある高校生は少ないかもな。運動部で練習がきつくて死にそうだとか、勉強についていけないとか。悩みの方が大きいと思う」

 だから、マンガやアニメなど作られた青春を見て疑似体験しているんだ。リアルな恋に奥手な僕たちは、特に。
「私は、今、青春の真っ只中だと思うけど。バンドやってると楽しいもの」
 門沢が、ピアノ越しに僕を見て言った。
「だよね。僕らは楽しみながら音楽をやってる。それでいいと思う」
 これこそ、青春ではないだろうか。勉強もちゃんとやって、バンド活動を楽しんでいる。それに門沢とエリカがいる。それで十分だ。生きていることを実感する。
「うん。僕も、店長といると、すごく楽しいと感じるよ」
 エリカが僕の方を見て言った。
 目がキラキラと輝いている。彼女の笑顔は子供のように無邪気で、見ているだけで、幸せな気持ちになる。
 そのとき、門沢の強い視線を感じた。すぐにピアノの前の彼女にも、笑顔を送る。とびっきりのだ。
「とにかく時間がない。曲を完成させよう!」
 僕は手を叩いて、みんなを作業に戻らせた。

 僕は、今、両手に花を持っている。と思っていたが、とんでもない間違いだった。よく見ると、花に見せかけた手榴弾だ。しかも手にくっついて投げられない。どちらかが爆発しても、僕の命はない。
 両方とも爆発する危険性さえある。時々、予期せず、あの王子様のクソキャラが出て来る。そのたびに安全ピンが抜かれ、僕の背筋が凍る。
 毎日がスリルに満ちあふれていた。危険すぎる高校生活は、まだまだ続く。
 生き残れるか。がんばれ、自分!

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 第6話 

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