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2024.03.04(月)復讐心

社会人として度し難き行為だとは重々承知しているが、もし現職の会社が俺のための歓送会の開催を打診してきたら、冷たく拒否してやりたいという衝動に駆られている。

和やかにスタートして若干安堵するも、酔いが回るにつれ社長が俺の仕事ぶりに駄目出しし、当然の流れとして人格否定に及ぶ。その間、俺は反論できない正論の嵐と公開処刑の不快感に、押し黙る。「聞いてんのかよ。おまえのために言ってんだぞ。何とか言えよ!」と社長から怒号が飛ぶ。間に「まあまあ」と入ったナンバー2がフォローを試みる。俺ではなく、社長のためのフォローである。「きつく聞こえるかもしれないけど、社長の言うことにも一理あるよ。なぜならタサキは……」と、言葉こそ柔らかめだが言っていることは人格否定である。ほかの社員は予想通りだんまりを決め込んでいる。ああ、やっぱり来るんじゃなかった……

という情況が鮮明に想像できるのである。

コロナ禍以前、仕事納めの日は珍しく社員全員定時にあがり、10人入ればいっぱいになる社内の会議室にオードブルなんかを取り寄せて”納会”を開くのが恒例だった。子持ちの女性社員がはけ、お歴々に酔いが回る7時頃になると、決まって特定の社員の公開処刑が始まる。ターゲットはもともと4名いたが、1人は定年退職し、1人は同業他社に転職し、1人はその日に有休をぶつけるようになった。残るは俺1人である。

幸い、そのタイミングでコロナ禍が始まってリモートワークがメインとなったので、わざわざ雁首揃えてのリアルな納会は消滅した。が、今でも年末が近づくと俺は気が重くなる。

心理的安全性という言葉がある。上層部もその意味を知っているはずだが、まさか自分たちの言動が職場の心理的安全性を損ねているとは露ほども思わないらしい。例えば、たまにあるコンペ案件の初期段階において社内でブレストする機会があったが、オリジナリティや実現の可能性の低い案は即座に却下された。ブレストって批判NGのはずだが、知らなかったようだ。次また同じ場面に遭遇したらひとつ釘刺してやろうと思っていたが、いつの間にかブレストの場にすら呼ばれなくなった。ああ、この会社に俺の居場所はないのかなと思った。その当時は自分に市場価値などないと思い込んでいたので行動に移らなかったが、転職活動を始めるに至った萌芽的瞬間ではあった。


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