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私は社長♪(MBSR8週コースで知ったこと)

少し前に物凄く面白いテレビ番組を見た。

「ヒューマニエンス 40億年のたくらみ」というシリーズの「“指” ヒトとサルの分岐点」というエピソードである。

「ヒューマニエンス」シリーズの趣旨は、ホームページにある通り

人間という不確かで不思議な存在とはいったい何なのか?その真の姿に迫っていく

というものである。これがもう目から鱗の連続なのである。

番組の中で特に印象に残ったのが「筋シナジー」の話。

人の手指の運動をつかさどる筋肉は片手で29個あり、この29個を色々な強さで調整して動かしているのだそうだ。仮にそれぞれの筋肉に10段階の強さがあるとすれば、筋肉の動きには10の29乗のパターンが出てくるらしい。

10の29乗とは1の後に0が29個付く数字で、10譲と呼ばれる。億、兆、京、垓の次の次。要するに途方もなく大きい数字なのだ。最新のスーパーコンピューターでも計算不可らしい。これが片手だけ。両手となったらその倍。更に筋肉の強さのレベルは10段階なんかよりずっと多いはず。本当に途方もないのだ。

さすがにこんな大がかりな処理は人間の大脳をもってしても難しいらしい。で、人間はどうしているかというと、日常的に良く使う動きはパターンとして記憶して、オペレーションを下部組織に任せてしまうのだそうだ。そして、その下部組織がどこにあるかを、チンパンジーを使って半年かけて調べた結果(研究者とチンパンジーの忍耐強さに感謝)、脊椎にあることが分かったという。

こう説明されても一般人には良く分からなかったので、出演していた科学者の先生が会社になぞらえて話してくれた。人間が大企業だとして、意志を伝える大脳皮質は社長。しかし、優秀な社長でも体の細かな動きまでいちいち指示を出せるキャパはないので、下部組織(指の場合には脊椎)に任せるのだそうだ。

つまり、大脳皮質が「指で“つまむ”のやって」と下部組織(脊椎)にザックリ伝えると、下部組織が実際に必要な筋肉に必要な指示を出し “つまむ”を実現しているということだ。会社でいうと、社長が営業部に「売上まとめて」って指示を出し、営業部が実際に数字を集めたり集計したりするのと同じだ。


ところで、私はこの秋に数々のご縁が重なって、関西医科大学MBSR研究会が実施したマインドフルネス ストレス低減法(MBSR)8週コースを受講した。

(ご縁の一つ一つに深く感謝です。特に、毎日素晴らしいブログでマインドフルネスの世界を教えてくれる友人ジュバ智子さんの影響は計り知れません。ジュバ智子さんのブログはこちら https://ameblo.jp/mindfulyuukiduke/entry-12645240966.html )


8週コースを終えての感想は、素晴らしかったの一言である。

何が良かったって、自分を本当に好きになれたのだ。自分を好きになれば周りのことも好きになり、自分がこの世にいることが嬉しくなるのだ。

実はこの講座をうけるまで、私はずっと自分自身に対し変な嫌悪感を抱いていた。現在の私の生活は、家族は仲が良いし職場や地域の活動の仲間も良い人ばかりでほぼストレスはない。それなのに、いつも心が何かにおびえて不安定だった。そして、8週コースで自分と向き合う中で、その原因は自分自身だということが分かった。自分が嫌いだから、自分が何をやっても悪いことしか考えられず、後悔したり自分を責めたりしてしまうのだ。しんどいはずである。

そんな自分への嫌悪感がなぜなくなったかというと、マインドフルネスの課題を続ける中で自分自身の捉え方が完全に変わったからだ。

8週コースでは、ボディスキャンや静坐瞑想などを40分くらいかけて毎日実施することが求められる。前者は体を細かなパーツに分けて、まずそれぞれ個別に意識を向け、最後に全身に感覚をめぐらすというものだ。一方、後者は静かに座って、自分の呼吸や体全体の感覚、聴覚、思考などに意識を向ける。

課題をやっているときは頭がすっきりして気分が良くなることも多かったのだが、自分への嫌悪感が解消するようには思えなかった。そこで、コース半ばの中間レビューの際に、講師の先生に自分への嫌悪感の対処法について質問してみた。すると、先生から「認めたくない(嫌いな)自分自身も自分を支えてきたものかもしれない」という回答をいただいた。

この「自分を支える」というフレーズがとても心に残った。

その翌日、課題の静坐瞑想で呼吸を意識しているとき、ふっと、自分が意識しようがしまいが呼吸は24時間365日ずっと「自分を支えている」ということに気が付いた。呼吸だけではない。ボディスキャンで注意を向けた体の各パーツ、静坐瞑想で意識した感覚や思考、それら全部が「自分を支える」ものだった。毎日40分以上かけて課題をやってきたのは、「自分を支えるもの」に気付くためだったのではないか。少なくとも私にはそう思えた。バラバラに見えていたパズルのピースが合わさったような気分だった。

そして気づいた。自分とは、おびただしい数の自分を支えるものたちの集合体だと。そして、私を悩ませてきた自分に対する嫌悪感というのは、その中の一つでしかない。例えば、自分は小さな点が集まったコンピューターの画像だとして、自己嫌悪感はその中の小さな点の一つ、みたいな感じだ。

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自分の全体像が見えたら、小さな点である自己嫌悪感は見えなくなってしまった。多分、今も変わらずあるとは思うが、それ気にしてどうするの?という心境になったのだ。

冒頭の「ヒューマニエンス」の指のエピソードを見たのはその数日後だった。人間を大企業に例える話が、自分の経験に重なった。

要するに私は、何億もの自分を忠実に支えてくれるものたち(社員)に全く気付かず、うちの会社はダメだと悪態をついていた自分勝手なアホ社長のようなものだった。本当に恥ずかしい。

これからはちゃんと社員たちに感謝して現場のことを学びながら生きていこうと思った。ということで、私は今、日常生活の中で、できるだけ自分の優秀な社員や彼らの現場の動きを知ろうと心掛けている。これってマインドフルに生きるのとぴったり重なる。

そして、そうやって現場の仕事を観察する中でもう一つ気づいたことがあった。

それは洗濯物を洗濯機に放り込む仕事を“見学”させてもらっていたときのことだ。汚れた衣類を、指が適切な角度と力でつまみあげるたびに、「ああ、私の指示に、脊椎が10の29乗の計算して筋肉が動いているんだ、すごいなあな」と私は感動していた。

しかし、そのうちに気付いた。「私、指示を出してない。もう一人いる」と。こう書くと何かオカルトチックな怖い経験をしたとか、ついに気が狂ってしまったかとか言われそうだが、全然違う。

私の指示よりも思考や行動の方が早いのだ。さあ、これから洗濯物を持ち上げるぞと私が意識するよりも先に、体の方は準備万端になって動き始めている。更に作業の途中で、私が全く意図しなかったこと、例えば、床に落ちた髪の毛を見つけて拾って捨てるとかを、私が意識する間もなく挟み込んでくる。これ、どういうことよと考えた末、うちの会社には判断指示など一切を取り仕切る“超敏腕副社長”がいるのだという結論に至った。

うちの副社長はすごい。日常生活に関する指示(歩く、座る、眠る、食べる、消化するなどなど)は完ぺきだ。それ以外の指示もほぼ正確かつ的確に出せる。しかし、よく厳しいことを言う。そのくせ、心配性で気弱でよくクヨクヨする。ときどき非常に面倒くさいときがあるが、功績の方が大きすぎて感謝しかない。

最近は現場の動作の観察よりも副社長の観察が面白かったりする。喜んだり慌てたり落ち込んだり、次々に思考をめぐらせたりする様子を見ていると本当にお疲れさまと言いたくなる。ただ、あんまり副社長に寄り添ってると息苦しくもなるので努めて考えないようにすることもある。一つ変わらないのは、どんなに面倒でも息苦しくても私は絶対に副社長の味方でいることだ。

とりあえず、今、私は自分の会社にとても満足している。社員はスーパーコンピューターをしのぐ計算能力で体を精密に制御しながら動かしている。しかも誰かに監視されたり評価されたりしなくとも淡々と自発的に働くのだ。そして、副社長は会社のために考えすぎるくらい色々考えて日々切り盛りしている。

私は何もしていない。みんなやってもらってる。そのことを忘れないようにしたい。

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