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男がフェミニズムを学ぶ理由

 2017年に#MeToo運動が始まって、日本でもフェミニズムに注目が集まった。それまで私はフェミニズムにも女性差別にも無関心だった。職場の男女比1:9という、男が圧倒的に少ない看護師の世界にずっといたのも影響したかもしれない。上司も先輩もみんな女性だったから、むしろ(私の視点では)女性の方が強者にさえ見えていた。

 しかし2017年あたりから、周囲の女性たちの「こんな目に遭った」という声をよく聞くようになった。#MeToo運動の影響ではないかと思う。伊藤詩織さんのレイプ被害や、スタンフォード大学で起きたレイプ事件は衝撃だった。同僚女性たちが毎日のように遭っている被害の数々に、上記の「強者としての女性」像が一面的なものでしかないことに気付かされた。

 けれど、だからすぐフェミニズムを学ぼう、とはならなかった。フェミニズムは女性のもの、と思っていたからだ。男性には男性の関わり方があるのだろう、と漠然と考えていた。だから自分なりの方法で(多くはTwitterで)女性差別を可視化させようとしてきた。それが2018年。

 その後、同時進行的に様々な差別問題に触れた。LGBTQ差別、黒人差別、部落差別、在日差別、障害者差別、外国人差別、……。日本に生きる私は無数の差別問題に囲まれていて、なのにそれらに何も気付かず過ごしてきた。自分の人生もそれなりに大変だったけれど、それはマイノリティが運命付けられた「大変さ」とは次元が違う。自分がずっと「特権」という盾に守られてきた(そして今後も守られる)と知った。

 もっと勉強しなければ、と思った。それでミステリー小説ばかり読んできた私が初めてフェミニズムの本を手に取った。読んでまず発見したのは、フェミニズムは女性だけでなく男性をも解放する、という事実だった。女性を差別する構造は、男性をも縛っている。それは個々人の問題でなく(もちろん個々人も問題を起こすけれど)より大きな構造の問題だ。男性の一部はその構造の支配的立場に立っているつもりかもしれない。けれどみんな実は絡め取られ、身動きできなくさせられている。その意味で女性を解放することは、男性を解放することだ。

 私が押し付けられてずっと苦痛だった(いや苦痛にさえ感じなくなっていた)「男らしさ」が、構造的に課せられた呪いだと気付いた。私は「男らしく」なくていい。みんなに合わせて下ネタを喜んだり、女性の外見に点数を付けたりしなくていい。強く見せなくていい。勝たなくていい。

 女性を差別する構造は、男性のあり方を規定し、そこから外れることを許さない。だからこそ男性にもフェミニズムが必要なのだ。この結論に達したのが2022年。

 そして2023年1月、フェミニズムを題材にした読書会を開くことにした。男が取り組むフェミニズム、「男フェミ」の一環として。課題本はチェ・スンボムさんの『私は男でフェミニストです』。興味のある方とぜひ一緒に学びたい。

ダンとふみなるの読書会

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