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人間関係の維持に必要なもの

けんかってエネルギーを使うね。

1週間ほど、友人とけんかをしている。近年稀に見る大げんかである。

怒っても何も変わらないし、すごく疲れる。執念深いので、怒ると何度も反芻してしまう。日常を振り回されるような感覚に陥る。それゆえ、あまり怒らないし怒れない。

それなのに、向こうからの連絡をスルーするくらいには、強めのお怒りをかましてしまった。

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ことの始まりは、友人のドタキャンが続いたことによる。
スケジュールのダブルブッキングがあって、それが何度か続いた。こちらはスケジュールを押さえて、計画まで立てていたのに……と悲しくなってしまったのだ。

普段だったら「しょうがないね」で流していたと思う。

でも、第一に、何度も続いたことがひっかかった。

そして、実際にそう思っているかはわからないが「なんだかんだ許してもらえるでしょ」という気持ちが滲み出ている物言いに、カチンときた。

悲しい、結局はされたことに対しての悲しさに集約されていく。布団にめりこみたい気分だ。

◆◆◆

今まで切れた縁のことを考えてみた。

10代の頃の私は「来るもの拒まず、去る者は追わず」。

自分からこの人と仲良くなりたい!とアプローチをかけるというよりは、近くにいたから仲良くなった、好きになってもひっそりと思い続けるケースが多かった。

進学などで離れると、ほとんどの人は連絡を取ったり会うことは減っていって、会わなくなってしまう。

今も仲の良い友人は、だいたい面倒見が良くて、声をかけてくれるタイプの子。

初対面の人と話すのはそこまで大変ではない(2度目ましての方が辛い)ので、人と仲良くなるスピードは早い。それなりに仲良くなることはできる。

けど、維持となるとあまり努力をしてこなかったかもしれない。こんなことして遊びたいとか、こんなことが嫌だったとか、あんまり言わずに過ごしてきた。

友人関係、恋人関係、生きているといろんな繋がりがあるけれど、人間関係の維持に必要なのって、たぶん「互いの意思」なんじゃないか、とこの歳になって思い始めている。

両方が「この関係を維持したい」という意思を持っていないと、途切れてしまうものなのではないか。


そう考えると、今回のけんかは、関係を維持するにあたっての意思表明だったとも言える。


普段、流されがちでほとんど怒らない自分だけど、もっと相手を理解したいし理解されたい、ならばもっと感情をオープンにしていかないと浅い関係のままだと思い、勇気を出して嫌だと思ったことを伝えた。

理解してもらえたかどうかはわからない。

しかし、怒るのにはエネルギーを使うもの。粘ってみたが、1日で「もう怒れない」と思った。怒り続けられるエネルギーがある人はすごい。

もうすぐ1週間経つ。そろそろ連絡を取ってみようと思う。

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