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自分が知らない、他人だけが知っている自分

アメリカの心理学者ジョセフ・ルフトとハリ・インガムによると、


自分も他人も知っている自分

自分だけが知っている自分

他人だけが知っている自分

自分も他人も知らない自分

がいるらしい。

(ジョハリの窓、というやつですね。気になる方はググってみて)


もうだいぶ前のことになるけれど、3年半続けた大学時代のアルバイトの最終出勤日。

Uさんからもらった手紙を開くと、

「第一印象は「しっかりしてるな」だったけど、実は繊細だったんだね、心配していたよ」

という一文があった。


今でも、無理をしてるな、と思ったとき、この言葉がパッと脳裏に浮かぶ。


◆◆◆


大変申し訳ないのだが、当時の私はこの言葉の真意をまったく理解していなかった。


当時の私は、「繊細」を圧倒的にマイナスに捉えてしまっていた。

「私の性格はもしかしてみんなに気を遣わせていたのではないか?」
「そもそも繊細なんかじゃない。むしろ大雑把だ」

繊細=気を遣わせる弱い人間、だと思っていた(そもそも繊細じゃない人間はこんなことを考えないだろうが)。


しかし、働くようになってから、じわじわとこの言葉に納得感が出てきた。

たしかに、遠慮しがちだし、気を遣いまくるし、人との距離感めちゃくちゃ意識してるし、たくさんの人がいるところは疲れる。

デートで行きたいところも、はっきり言えず、相手の様子を伺いながら、恐る恐る提案していた。

もっと仲良くなりたい人とすら、なかなか距離を詰められない。

学生時代と違って、1人の時間やスペースをきちんと確保できる暮らしがあまりに快適すぎて、涙が出るくらい。


ああ、Uさんが言ってたのは、こういうことだったのか! 

私は、人との距離感や自分の思いに過度にブレーキをかけてしまうところがあって、これが「繊細」と見えていた、らしい。


今はというと、自分の気質の波をうまく乗りこなしている。

「あ、また自分は気を遣いすぎてるかも」「たくさんの人と会ったから少し休もう」と気づいて、うまいこと調整できるようになった。

でもこれも、Uさんの一言がなかったら、私はずっと気づかないままだったかもしれない。私の細かいところまでよく見えてくれていたUさんには、今でも頭が上がらない。


◆◆◆


「繊細」は、私は知らない、他人が知っている自分だったのだろう。

〝自分のことは自分でわかっている〟なんて、多大な勘違いで、案外、自分のことなんてぜんぜんわからないのかもしれない。

周りの声を聞いて、自分には見えない自分を知って、自分とは何か? もっと深めていこう。

現在、#1ヶ月書く習慣チャレンジ、挑戦中です。
今日のお題は、Day27「誰かに言われた大切な言葉」でした!

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