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わかる

みんな一緒
ひとりじゃない
助け合おう 

ひとつのはこにいれて

おなじことをして

さも誰もが同じであることがふつうであると、

ふつうであることが正しいと植え付けられる。

わたしだけなのかな、
わたしがおかしいのか

言い訳かもしれないけど、
でも、
でもさ、

言うことをきけっていうからさ、

ふつうがふつうだって、するからさ、

そうしないとさ、

ね、

おこるでしょ、

わたしのために、おこるんでしょ

わたしのせいで嫌な気持ちにさせるのはさ、

こわいんだよ。

くるしいしってるからさ、

くるしそうにされるの

こわいんだよ。

こわいから、

さ、

疑う選択肢はなかったよ

まんまとそう思い込んで生きてるよ

みんな一緒なんでしょ

分かり合えるんでしょ。

助け合えるんでしょ。


でもさ、たくさんたくさん考えたらさ。

そんなの無理だよ

ってさ、

かんたんにわかったよねきっと。

かんがえなかった私が悪いかな。

なんでかんがえなかったんだろうな。


結局わたしの気持ちはどう頑張っても

わたしにしか感じられなくて

わたしにしか感じられないから、

誰かにわかってもらうことはできないんだよね。



いくら誰かの気持ちを知りたくても

いくら頑張って想像しても

それはわたしの経験のなかから
それに1番近いだろうと判断したものを

それだと勝手に判断してるだけで

ほんとにわかることなんてできない

できるできないの問題じゃなくて

不可能なんだよね。


でも

だから言葉があって

一生懸命伝えようとするんだ。

わかろうとするんだ。

本当の意味でわかり合うことなんて不可能なのに


言葉って、人間って、

せつなくて

独りよがりで

無様で

孤独だ。



要は

わかり合えるか

じゃなくて

わかり合おうとしたいかどうかってことで


わからないことは前提として

それでもわかり合おうとしたいかどうか


わたしはそう思うんだけど。



この気持ちも結局は

わたしのこの気持ちこの感覚
そのままでは伝わることは

不可能なんだ。



伝わってほしいって

寂しいって思っちゃうのはさ、

胸が痛むのはさ、

わかりあえるって

みんな一緒がふつうって

おしえてくれたからだよ。


ふつうでいることがふつうで

ふつうでいることが幸せって

右見ても左見ても散りばめられてるからさ、

その方が生きやすい世の中だからさ、

ふつうじゃないと幸せじゃないって

思っちゃうよ

感じちゃうよ

苦しくなっちゃうよ

ふざけんなよ



ねぇ、

伝えられないけど

きいてよ。


わからないことなんて

とっくにわかってるんだよ。

それでも、

きいてよ




ってそんな期待は

自分の首を絞めるだけだから

やめられる練習をしなきゃ

現実、きつ。


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