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星野源は生きている

思えばわたしは、いのちの匂いの濃い少女だった。野山を駆け回って、太陽の下で笑うような。ダンゴムシを山ほど集めて、アリを一匹ずつ殺すような。
歌って踊って絵を描いて、水浴びをして、友達と喧嘩をして、駄菓子屋でスーパーボールを買うような、アウトドアなんだかインドアなんだか分からないような少女だった。快活で、明るい子だった、気がする。そんな気がする。
それがどうだ、今では些細なことがわたしのいのちの障害として立ちはだかる。
例えば雨が降っているだとか、靴紐が解けただとか、キャベツが高騰しているだとか、靴下に穴が開いているだとか、小銭が2円足りなかっただとか、そんなありふれたことでわたしの心はぽっきり折れてしまうようになった。
高校は3年間ほぼ別室登校だった。
今でも当時を思い出して泣く。陰鬱なものが渦巻いて、逃れられなくなって、蟻地獄みたいに呑み込まれてしまいそうになったら頓服を飲む。情けないなあと思う。高校の頃の思い出を大学3年生にまでなって、未だ引きずっているのが、情けなくて、余計に心が折れる。
実は今、この文章を書いているとき、わたしはちょうどその渦中にいる。
生きるのがむずかしくて、生きることで必死で、自分のことで精一杯で、誰のことだって思いやれなくて、そんな自分が嫌いで、毎日いのちと喧嘩をしている。

いのちと喧嘩をするのは大変だ。
死にたがるわたしと、生きたがるわたしは相容れないからだ。
厄介だなあと思う。厄介で、もう考えるのが嫌になって、わけがわからなくなったから、本を手に取った。
星野源の『よみがえる変態』である。


よみがえる変態
星野源(著/文)
文春文庫

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TBS系列の「MIU404」というドラマにハマった。生きる理由はMIU404しかなかった。高校時代も「来週のおそ松さんを観るため」だけに生きていたことを思い出した。これはただの余談。
MIU404にハマったので、当然主演俳優が気になった。映像作品は「見ているだけ」でいいので気が楽で、活動する気力がない中で、かの逃げ恥を観た。めちゃくちゃよかった。平匡さんとみくりさんの距離が、くねくねと遠回りしながらも確実に近づいていく描写が見事だった。みくりさんと結婚したいな〜と思いながら「プラージュ」というドラマにも手を出した。これも星野源主演ドラマである。
これがまあドラッグやら殺人やら物騒で、とんでもないドラマで、死にてェ〜と思わず声に出して転げ回った。登場人物がもれなく苦しんでいる。ものすごく死にたくなったが、星野源はめちゃくちゃ可愛かった。かわいい〜。なんだあの男。いのちの匂いがした。生命の色が濃い。星野源は生きているなと思った。当然だ。生きているからドラマに出ている。
でも、なぜこんなに死にも生にも近い雰囲気を纏っているのかわからなかった。だから、星野源の著作に手を出した。ちょうど死にたかったし。そして都合のいいことに、『よみがえる変態』はエッセイだった。人を知るにちょうどいい。

『よみがえる変態』を読んでわかったのは、星野源は後ろ向きに前を向いているなということだった。
これは全編通して読めば必ずわかる。そして説明が難しい。なぜなら、どれだけ楽しげな話題であっても、ことばの端々にネガティブの爪先が見えている。ちゃんと隠せや、と思ったが、もしかしたら意図的に見せているのかもしれないとも思った。真意はわからない。わたしは星野源ではない。

最初はわけがわからなかった。星野源に関する事前情報は、歌手で、俳優で、くも膜下出血を経験していて、ラジオでめちゃくちゃ下ネタを言い、バナナマンの日村さんの誕生日に「日村近寄るな」という歌詞の曲を送っているということだけだった。日村近寄るなってなんやねん。
星野源に関する情報が少なければ少ないほど面白い本だと思った。だって、序盤で得られる星野源の情報は「星野源はただただ二次元とおっぱいが好きで、ドアに因縁つけて恫喝してる男」だ。わけがわからない。そして読み進めるごとに、セックスやらオナニーやらの話が出てくる。アンタそんな赤裸々でいいわけ?
星野源はどうやら本当に下ネタが好きらしい。
でも、不思議と不快でないのだ。息をするようにおっぱいの話をする星野源は、性をいのちの一部として、生活の一部として堂々と受け止めているからこそ、こうして自然に嫌味なく文字に起こせるんだろうなあ。
ちなみにわたしは今、適当をこいている。星野源についてはまだ、この一冊の本の知識しかないからだ。でも、そんなわたしでさえそういった考察をしてしまう程度には、星野源は自然体で、やわらかで、それでいて難解な性格をしている人だと言わしめるような文章を書く。

曲作りのこと、共演者のこと、幼少期のこと、性のこと。面白かった。人はここまで「なんでもない記憶や出来事」を、捻じ曲げることなく面白く書くことが出来るのだと感動した。へえ、星野源すげ〜じゃん。
思って、うちのめされた。くも膜下出血の話にシフトしたのだ。
前半はやわらかくて、でもほんの少し垣間見えるトゲがするするとエッセイを読み進めさせてくれた。
それが後半ではガラリと変わる。
大きな大きな空白。いや、空黒。黒く塗りつぶされた見開きページを越えると、そこには「地獄」を見た星野源がいた。
一応これは書評である。一応ね。そのためネタバレを避けるためにぼやかすが、「地獄」を見た星野源は闘病生活の過酷さゆえに死にたがったらしい。へえ、星野源でも死にたくなるんだ。
全ての死にたい人は『よみがえる変態』を読むべきな気がした。だってあの星野源でさえ死にたいんだ。そう思うと、わたしたちは健全で当然であるように思うから。
そして、死にたくない人も読むといいと思った。だってあの星野源でさえ死にたいんだ。今これを読んでくれている死にたくないあなたも、いつか死にたくなるかもしれない。死は当たり前にわたしたちのそばに横たわっているということを、自覚するのは実は幸せなことのように思う。知らんけど。

なんかめちゃくちゃ自身の思想を語ってしまってない?ウケる

ここから無理やり『よみがえる変態』のおすすめポイントへと捻じ曲げるが、こんな偏向思想のわたしでさえ、『よみがえる変態』は死にたくならずに読み切れた。これは本当に。マジの話である。
星野源は闘病生活の中の一部、面白いと思ったこと、新鮮に思ったこと、「当たり前の日常」のこと、それらを面白おかしく、暗い気持ちにならない言葉選びをして綴っているのだ。
生きているなと思った。星野源は生きている。生きているし、生きていたんだなと思った。このエッセイが書かれた2011〜2014年の星野源は、確かに生きていたんだなあ。

『よみがえる変態』では、“死”に関する内容が多く出てくる。
墓参りのこと、亡くなった知人のこと、亡くなった祖父のこと、そして、死がそばにあった自身の病気のこと。
星野源からはいのちの匂いがする。
特に死の匂いがする。でも、それと同じように生の匂いもする。
思えば性だって、それなしでは人類はおろか、すべての生き物は存続し得ないのだ。そう思うと、性に真っ直ぐ向き合って、アナルだかセックスだかでゲラゲラ笑っているような星野源からいのちを感じないわけがないのだった。
いのちの匂いを色濃く携えた、生死を引きずりながら闊歩して笑っているような星野源が、『よみがえる変態』にはいる。

寂しさは友達である。絶望はたまに逢う親友である。

これは作中に出てくる二文だ。なるほどなと思った。そして、生きようかなと思った。
星野源がこう言ってることだし。とりあえず生きようかな。
生きる理由がMIU404しかなかったわたしは、この書評とも言えない書評を、星野源のCDを聴きながら、星野源の出ている雑誌を読みながら書いた。
MIU404は今日最終話を迎える。生きる理由が失われてしまう前に、新しい生きる理由を見つけられてよかった。
星野源を知り、星野源の『よみがえる変態』を読んだから、わたしはいのちと喧嘩をし続けられている。
なんて、大袈裟なことを言って今日も生きる。
星野源が生きているように、わたしも生死の匂いをさせながら生きてみようと思った。
いのちの匂いを濃くするには、どうやら星野源が効くらしい。いのちの匂いってなんやねん。
とりあえず、星野源ごめんな、しばらくはアンタを生きる理由にさせてくれな。

『よみがえる変態』、おすすめです。ぜひ。
文庫版の方が個人的にはおすすめです。知らんけど。
てかこれ書評なん?ウケる


皇學館大学3年 ふみくら倶楽部 夜泣き

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https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784167913557

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