胃が痛い、の不思議

 肩が凝るとは一体どういう感覚なのか、ながらく分からないでいる。アナタとても凝っているよ、といわれても実感が湧かない。いつもの通りなんだけどなあ。

 言葉による「感覚」の共有というのは、なんと曖昧なものか、頭が痛いときの表現にも困る。なんかこう、ときおりピキーンと来るんだよね。が伝わらない。よくよく考えたら味覚も、共有できているようでそうでもなく、え?これはそんなに塩っぱくないでしょ的な違いがあるのに大枠のところで同意するのも不可解といえば不可解な気がする。

 さて、胃痛の話。これも私には理解できず妙な気になる。なんかお腹が痛い、のなら分かる。外から見える腹部の一部、この辺りが痛いんだと言われればナルホドとも思えるが、見たことも触れたこともない胃が痛いという不思議。失礼かも知れませんがアナタそれは本当に胃ですかという疑問も湧こうというものだ。

 なんか今朝から胃が痛いんだよね。などとある種の思い込みによって状態を言葉に変換するとき、本来の感覚とは離れていっているのではないかと思うと、人の感情や思考もそういう部分もあるのだろうなと、言語の呪い的側面を垣間見るのであります。

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