見出し画像

これ以上ない休日のサングリア。

この文章は、KIRINとnoteで開催するコラボ特集の寄稿作品として、主催者の依頼により書いたものです。

もう10数年前の話になる。

妻とふたりでぶらぶらと、モントリオールの街を歩いていた。季節はたしか5月下旬。そしてモントリオールといえば当然、カナダ東部の都市だ。日本と違って肌寒いくらいなのかもな。なんて事前の予想とは裏腹に、Tシャツでも汗ばむほどの陽気だった。

陽にやられ、歩き疲れたぼくらは、適当なレストランに避難した。車道までずいずいと領土を拡張したオープンテラスのレストラン。平日だったはずなのに、そしてまだまだランチタイムだってのに、席にはすでに大勢の地元客が陣どって、思い思いにワインやビールを開けていた。

便利な時代だ。看板を頼りに検索したらお店の情報も見つかった

ぼくらはここで、ポテトの添えられたカラマリ(イカのフリット)とサングリアを注文した。とくにカラマリが好きだったわけでもなく、サングリアを飲みたかったわけでもない。ただ隣のお客さんが同じものを食べ、飲んでいて、とてもおいしそうに見えた。それだけのオーダーだった。

ほどなくテーブルに運ばれてきたカラマリとサングリア。赤ワインをベースにしたサングリアを飲み、肉厚のカラマリをほおばる。

驚天動地。天が驚き、地が動いた。

サングリアって、こんなにおいしいものなのか。
カラマリって、こんなにおいしいものだったのか。
そしてこのふたつ、めちゃくちゃに合うじゃないか。

だいたいにおいてぼくは、海外旅行先での食事を、うすくあきらめている。たとえば、どこかの国でおいしいパスタに遭遇したとしても「よく考えたら日本で食べるやつのほうがうまいよな」となるのが海外旅行の常であり、美食大国日本の抱える宿痾である。とはいえ、1週間なら1週間の旅のなかで、ひとつかふたつくらいは「掛け値なしにおいしい!」「これは日本では食えない!」というものに出合う機会があり、この日のカラマリとサングリアはまさにそれだった。


帰国後、ぼくはさまざまな飲み屋を訪ね歩き、カラマリとサングリアを注文した。あの感動をもう一度。カナダで適当に入ったお店のそれがあんなにうまかったのだから、美食大国日本で厳選したカラマリとサングリアはさぞかしうまいだろう。もしかしたらプロフィールの「好きな食べもの」欄に、そのふたつを明記するほどの大好物になるやもしれない。そう考えて、ひたすら食べ歩いた。何年も、文字どおりに何年も。なんなら、いま現在も。

けれど、あの衝撃に勝るカラマリとサングリアに、ぼくはまだ出合えていない。それなりにおいしいお店、じゅうぶんにおいしいお店、また注文したいお店はたくさんあるけれど、あの感動とは比べものにならない。


そうか。ぼくは気づいた。あのカラマリとサングリアを超えることは、もう二度とできないのだ。

あの日のぼくは、長い休暇をとってモントリオールの街を歩いていた。観光名所をめざすわけでもなく、これといった目的地もないまま、ただぶらぶらと歩いていた。季節は気持ちのいい初夏の入口だった。そして歩き疲れたタイミングで、たまたま見つけたレストランに入った。大勢の人びとでにぎわうそのお店は、いかにも地元の人気店だった。なんの事前情報もないまま、これといった理由もないままに、カラマリとサングリアを注文した。青空があった。風が頬を撫でていた。まわりからは外国語しか聞こえない。仕事も生活も心配ごともすべて日本に置いてきたぼくは、香ばしく揚がったカラマリをほおばり、冷えたサングリアを飲んだ。これ以上ない休暇が、そこに完成した。いつ沈むともしれない太陽の下、永遠に続いてほしいこのときが、そこにあった。


品のいいバーで、キャンドルの灯りとともに飲むお酒。気のおけない仲間たちと居酒屋で酌み交わすお酒。自宅でサッカー中継を見ながらの晩酌。どれも最高に決まっている。それでもやはり、旅だ。旅先だ。仕事を忘れ、生活を忘れ、たくさんあったはずの心配ごとも忘れてしまった異国の地で、平日の昼間っから飲むお酒。これに勝る快感を、ぼくは知らない。ぼくらはそのとき、休暇そのものを飲んでいるのだ。


KIRINとnoteのコラボ特集「#いい時間とお酒」はこちら