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若かったわたしの過ち。

昨年末に痛めた膝が、ほぼ復活した。

おかげで犬と豪気にたわむれることもできる

けっきょくあの膝の激痛はなんだったのだろう。整形外科医は「老化」だと言った。しかし老化であれば昨年末より現在のほうが進行しているはずで、老化「だけ」とは言えまい。それに老化なんてネガティブなことばは使わずに、せめて「加齢」と言ってほしかった。そこに「老い」の字をまぜてほしくなかった。

メガネ屋さんの店員だったころ、会社の販売マニュアルに「老眼鏡ということばを使うな」との規則があった。老眼鏡ではなく「お手元用メガネ」。なぜなら老眼鏡ということばの響きに、抵抗感を持つお客さまもいるからだ。それが会社の説明だった。

「あほかい」

おのれの身体的な若さを、当然の事実として生きていた新卒一年目のぼくは思った。考えてもみやがれ。店員の口から「お手元用メガネ」なんて言われてなんのメガネだかすぐさま理解できる人間は、いるだろうけれども少数派だ。一方「老眼鏡」と聞いてなんのことだかわからぬ大人は皆無に等しい。聞いたこともない名前の商品、よくわからぬ名前の商品、ほかの店とは違う呼び名の商品をすすめられ、猜疑の心が湧くお客さんはきっと多い。お前ら本部のおっさんどもは現場を知らんから「お手元用メガネ」なんてあほくさいオブラート用語を推奨しとるのだ。

ぼくは会社のマニュアルを無視して、店長からのたしなめも無視して、かたくなに老眼鏡の名で老眼鏡をすすめ、老眼鏡を売っていた。

しかしながら現在。まさに老眼鏡を必要としはじめた現在。整形外科医の口から漏れた「老化」の二文字に、ショックを受けている自分がいる。せめて「加齢」と言い換えてほしかった、そこから「老い」の字を消してほしかった、などと甘ったれたことを言ってる自分がいる。

あの販売マニュアルは、正しかったのだ。

ぼくは若く、想像力が足りていなかったのだ。