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想像力とはなにか。

これはほんの一例として。

いまよりずっと若いころ、正月に報じられる「もちを喉に詰まらせたおじいさん」のニュースを笑い話のように聞く自分がいた。むかし話のワンシーンのようでもあり、コント番組のようでもあり、(実際に起きた事故であるにもかかわらず)どこかおもしろがっていた。

しかしながら最近、これをとても恐ろしい事故として受け止めている自分がいる。自分の近親者がそうなりかねない年齢ばかりになり、笑いごとじゃねえぞ、と思うようになってきたからだ。もちろんぼく自身、あと20年や30年でその対象者となっていく。

想像力とはなにか。

それは「遠くにあるものを、近くに引きつけて感じる力」なのだと思っている。若いころのぼくにとって「もちを喉に詰まらせたおじいさん」は遠い存在だった。しかしいまのぼくには、それなりに身近な存在だ。これがあと20年も経つと、自分と不可分な「おれそのもの」の話題となる。

若い人間が「もちを喉に詰まらせたおじいさん」をただの笑い話と受け止めないためには、それを深刻な事故と受け止めるためには、まさに想像力が必要なのだ。ぼくにはその想像力が、足りなかったのだ。

逆に言うと、「若さ」と想像力や発想力がセットで語られやすいのは、経験に乏しい若い人は、普段から想像力を頼りに生きているからなんだろう。そして経験ゆたかな中高年は、想像力に頼らずとも経験のなかから物事に対処できるのである。生きるための想像力を、必要としなくなるのである。


外国の話。人種の話。性差の話。年齢の話。

ぼくは「遠くにあるものを、近くに引きつけて感じる力」を、つまりは想像力を、持ち合わせているだろうか。想像を、サボっていないだろうか。

いま取り組んでいる原稿を書きながら、そんなことを思った。