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幡野さんの noteを読んで。

幡野さんがきのう、note を更新した。

仕事としての原稿ではない、またツイート(つぶやき)でもない、幡野さんがみずからの純粋な欲求に従って書いた文章を読むことは、ずいぶんひさしぶりな気がした。

たくさんの「♡」マークがついているし、ツイッター上でもたくさんの感想を見かけた。ぼくが想像する以上に多くの人が、もう読んでこころを動かされているのだと思う。きのうの note で幡野さんは、ひさしぶりに正面から病気の話をされていた。読みながら、いまさらながらにようやく、わかったことがある。幡野さんもストレートに書かれていたことだし、ぼくもできるだけ正面から書いてみたい。

ぼくは幡野広志さんという人を知ることができ、知り合うことができ、一緒に仕事までさせてもらって、(少なくともぼくの意識としては)友だちになることができて、ほんとうによかったと思っている。

けれど、そんな近年でいちばんとも言える出会いのはじまりにあるのは、幡野さんの病気だったりする。もしも幡野さんが病気になることなく、ひとりの写真家として活動を続けていたとしたら、写真業界にあまり詳しくないぼくは幡野広志という人のことを、知らないままだったのかもしれない。その事実はどこか、出会えたことのうれしさにブレーキをかけてきた。


人には命とおなじぐらいか、もしかしたら命よりも大切なものがある。もちろんそれは人それぞれだけど、自分の人生で何を大切にして生きているかということだ。ぼくにとって人生で大切なことは、自由であることだ。旅にいける自由、好きなものを食べる自由、好きな人と会う自由だ。

幡野広志『笑顔でバイバイをする。』 より


けれどもきのう、はたと気がついた。

ぼくやその他大勢の人たちが幡野さんに知り合えたのは、幡野さんが病気になったからではない。病気になった幡野さんが、「表現」に踏み出したからなのだ。写真を撮り、ことばを発し、前を向いて表現に踏み出した。そこで放った光が、ぼくみたいなボンクラな男にも届いてくれた。起点は病気ではなく、その先にある表現のほうだったのだ。幡野さんの、そこに踏みとどまらない意志が、前に進もうとするまぶしい表現が、ぼくらを知り合わせてくれたのだ。病気という重たすぎる事実を前に、そんな当たり前のことにさえ目を曇らせてしまっていた。

いまさらのように幡野さんとの関係に思いが至り、ぼくは幡野さんと知り合えたことのよろこびを噛みしめている。なんだか教えてもらうことばかりの関係なんだけれど、緊急事態まわりのいろいろが落ち着いた春あたりにはぜひ、ぼくが大好きなお鮨屋さんの味を教えてあげたい。

ああ、幡野さんの note、ほんとに好きだ。