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笑顔でバイバイをする。

正月に財布を新しく買い替えた。いつも使っている財布の色違いをアマゾンでアマったんだけど、ご丁寧に前回の購入日を教えてくれる。前回は3年前に購入したらしい。古い財布からカード類を取り出して、新しい財布のおなじ場所へ移動する。

まだ新品なので革が硬く、全てのカードを移動するのは難しい。使用頻度の低いナナコカードは一軍落ちとなった。カードだけでなく、よく財布を無くすのでカードタイプのGPSやドラえもんの絆創膏なんかも移動する。

さて、ボロボロになった2錠の薬はどうしよう…。トラムセットという痛み止めの薬だ。ボロボロで表面がすこし変色しているし、まったく飲む気にはなれない。それでも一軍落ちせずに新しい財布に移動した。これはお守りみたいなものだ。

トラムセットを一日に8錠、他にもいくつかの鎮痛薬を組み合わせて、骨に腫瘍があった痛みがひどい時期を乗り切った。もう3年前のことだ。

放射線で骨の腫瘍を治療してから、鎮痛薬は飲んでいない。それでも毎朝15錠ぐらいの薬を服用している、月に一度は病院で抗がん剤の点滴もしている。朝早くから病院にいって、病院をでる頃にはすっかり暗くなっている。それでも生きていられるのだから、悪い話ではなくありがたい話だ。

病気になって体調面ではいろいろな変化があった。たとえば体重は20kgほど増加した。シックスパックだったお腹は、やわらかめなワンパックになった。「好きなものを好きなだけ食べているから」と体重の増加を誤魔化していたけど、本当のことをいってしまえば薬の副作用だ。

副作用なんて人それぞれだ。副作用の一つに便秘もあって下剤を処方されたけど、一度も便秘になったことがない。むしろお腹と一緒でやわらかめだ。本当に人それぞれだ。

本音をいえば治療のことや体調のことや、副作用のことはあまりいいたくない。抗がん剤の治療が怖いものっておもわれても困るし、治療や副作用のこということをいうと、インチキ治療が誰かの善意と手をつないでやってくる。それに健康な人にとっては薬のことや治療の話なんか退屈なものだ。

体重が増加したことで、血圧もぐんぐん上昇した。『愛の不時着』を見ながら計測したら170までいった。『愛の不時着』が原因だけど、血圧を下げる薬の服用をはじめたので、また薬の量が増える。温かい部屋で立ち上がろうとすると今度は低血圧でフラフラとする。体重とは関係なく血栓ができやすく、血をサラサラにする薬も服用している。料理中に指を切ったりすると、サラサラの血がなかなか止まらない。

体重が増えると、看護師さんが点滴の針を入れるときに苦戦をする。デブの腕は血管を探すのが大変なのだ。そして体重に応じて抗がん剤の量が変わるので、薬価代も上がる。看護師さんに苦戦を強いて医療費は上がって、デブは百害あって一利ぐらいしかない。太ってわかったけどデブは寒さにめっぽう強い、暑さにはめっぽう弱いけど。

ライザップみたいなジムに通って痩せようかとおもったけど、骨が脆くなっていて骨折のリスクがあり医師からは止められた。じゃあ水泳でもやろうかとおもえば、今度は感染症のリスクがある。頭を悩ませながら、美味しいものばかり食べてしまう。

点滴をすれば写真のようなアザになり、2週間ぐらい消えない。月に一度の点滴なので月の半分はアザがあるようになる。たぶんもう血管はボロボロだ、よく頑張ってくれた。それでも生きているので、ありがたいものだ。

ちなみにTシャツの動物はネコじゃなくて、ウサギだ。胸ポケットなのこれ。

病気になってから国内も海外にもいろんなところに出かけた。飛行機には100回ぐらい乗ったかもしれない。新幹線もフェリーも漁船もヘリコプターにも乗った。たくさんいろんなところに旅へいった。たぶん一般的に簡単にはいけないような場所にもいった。

病気になったおおくの人が旅行にいきたいと願う。だけど現実的にそれを叶えている人はおそらく少数だ。もしも渡航先で何かあったら…という不安で周囲の人が止めてしまう。

幸いなことにぼくの周りには、ぼくを止める人はいない。医療者も家族も友人も誰も止めない。どんどんいきなよと、背中を押してくれる。ぼくは病気になってから旅が好きになったポッと出の旅好きというわけじゃなく、もともと旅が好きだったのだ。旅こそが人生を豊かにしてくれるとおもっている。

周囲の人がそれをやんわりと理解をしてくれるから、きっと誰も止めないのだ。旅がきっかけで感染症になろうが、それで死んでしまっても、死にたくはないけどべつに悪いことでもない。こうやってnoteに書くことで、また周囲の人が理解をしてくれる。

人には命とおなじぐらいか、もしかしたら命よりも大切なものがある。もちろんそれは人それぞれだけど、自分の人生で何を大切にして生きているかということだ。ぼくにとって人生で大切なことは、自由であることだ。旅にいける自由、好きなものを食べる自由、好きな人と会う自由だ。

コロナ禍になって自由が制限され苦しむ人は多いかもしれない、コロナ以前の何十年も前から、きっとがん患者は自由を制限されていたのだ。もちろん病状によって自由はだんだんと削がれていく、ぼくだって高血圧で減塩してる。

まだ削がなくていい自由を、周囲の人の不安や心配を理由に削ぐべきじゃない。病人は周囲の人を安心させるために存在しているわけじゃない。ぼくは自由に好きなことをしているけど、好きなことが周囲によってできない病人の話はよく聞く。

病気になって知ったことだけど、ぼくは3分前にはじめてあった人でも、緊張も人見知りもせずに会話をできるという性格の持ち主だった。老若男女、病人だろうと健康だろうと、国籍もマイノリティも関係なく会話ができる。わりと誰とでも仲良くなれるタイプだった、知らんかった。

病気になってからいろんな人とあった。ぼくは人の話を聞くのが好きだ。映画や本を読むときとおなじように、ワクワクした気持ちになる。知らないことを知ったり、思考がより深まったり、全く違う視点が見えたり、励まされたりもする。会話するとそれだけで世界が広がる。

写真家っぽいことをいってしまうけど、ぼくはサヨナラをするときに写真を撮ることがおおい。なぜなら人は笑顔でバイバイをするからだ。その人と仲が良ければなおさらだ。

もちろんそのうちまた会えるから、別れ際が笑顔でバイバイなのかもしれない。もしもそこで一生の別れが決まっていたら、涙のバイバイになってしまうのかもしれない。

だけど、ぼくは死に際のバイバイも笑顔でいいのではないかとおもってしまう。きっとこれはぼくが死ぬ側の人間だからそうのんきにおもうのだ。生きる側はそうじゃないだろう。

いままでに何人も病気で友人が亡くなってしまった。とても辛く、悲しくていまでも泣いてしまう。病人は生きているうちは病気ならではの苦悩があるが、周囲の人は病人が亡くなった後に苦悩を感じる。

関係性が深い家族や恋人や親友であれば、喪失感はとても大きいだろう。だからぼくは仲良くなった人に、なんともいえない居心地の悪さをすこし感じてしまう。悲しいおもいをさせてしまうのではないか、そう感じてしまう。

でもそのときのためにも、自由に生きて好きなことをして、こちらは笑顔でバイバイをしたい。きっとその事実が生きる人の悲しみをすこしでも和らげてくれる。好きな旅をしてそこで知り合った人と、好きなものを食べながら会話をして、その人のしあわせにふれる人生は最高にたのしい。

だから周囲の人が不安と心配ということを理由に、病人に好きなことをさせないのは感情の悪循環だ。誰得なんだそれ?という感じがする。きっとこれは話し合いができていないことが要因の一つだ。

人生会議というものがある。死の間際で延命治療をするのかどうなのか?の二択が注目されがちで、重苦しくてあまり認知もすすまない。このコロナ禍で基礎疾患ありの人で、人生会議してる人ってどれくらいいるんだろ。

ぼくは健康なときから旅をして、好きなものを食べて、たくさんの人に会うことが好きだった。病気になっても健康なときとおなじように、好きなことをしているだけだ。さらっといってるけど、結構困難なことだとおもう。

でもそれができているのは、自分が人生で大切にしていることをまずは考えて、それを自分が意識を失ったときに命の判断を託す人と、会話をして積み重ねることからはじめた。じつはそんなに難しいことじゃない。

さて今年こそは痩せて、まずはツーパックを目指そう。こっちのほうがとても困難だ。

サポートされた資金で新しい経験をして、それをまたみなさまに共有したいと考えています。