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そんなプラカードは掲げないけれど。

きのう、書こうとしたのに書けなかった話がある。

20歳の自分に受けさせたい文章講義』という本ができる過程というか、その前提にあった話だ。きのうも書いたとおり、あの本は柿内芳文氏が星海社新書のウェブサイト内で、ぼくへの(文章術に関する)インタビュー記事を掲載しようとしたことに端を発する。

さて、ここでひとつ疑問が浮かび上がる。

当時のぼくは、まったくもって無名のライターだった。『嫌われる勇気』が存在していなかったことはもちろん、なんといっても当の『20歳の自分に受けさせたい文章講義』がデビュー作なのだから、世間のみなさまには知られようのない裏方の人間だった。さほど広くない出版業界の、ごくごく一部の編集者たちに知られるだけの、文字どおりに「知る人ぞ知る」ライターだったのだ。さてさてさて。どうして彼、柿内芳文氏は、それほど無名のぼくに文章術を語らせようとしたのか。


ライターの地位を向上させたかったからだ。

これは当時、何度となく彼から聞かされていたし、相談も受けていた。ライターに対する誤解を解きたい、さらには編集部の外部組織として専属ライターチームをつくりたい、あたらしいライターたちを育てていきたいとまで、当時の彼は妄想を膨らませていた。その第一弾というか、準備の一環として組まれたのが件のインタビューだったのだ。

そういう思いを知っていたからこそ、ぼくは入念な準備をして取材を受け、結果としてインタビュー記事ではなく一冊の本にしましょう、という話につながっていったのだった。


正直ぼくは、ライター自身による「ライターの地位向上を!」の叫び、待遇改善のプラカードを掲げて行進するようなその列のなかには、あまり加わりたいとは思わない。なめたことをする出版社・編集者には意見するけれど、プラカード的なふるまいはいかにも「徒党」な感じがして、自分のやるべきことじゃないと思って生きてきた。

一方、優れた編集者はほぼ例外なく、ライター(およびデザイナー)の地位向上を訴えてくれる。当時の柿内芳文氏もそうだったし、cakesを立ち上げるときの加藤貞顕さんも熱心にその話をして、実際にすべてのつくり手がしあわせになれる枠組みを、懸命に考えてくれていた。

もちろん、ライターを軽んじる編集者も多い。そういう人に対してぼくは、申し訳ないけれど、その程度の人なんだろうな、としか思わない。その程度のライターとの出会いしかなかったのだろうし、その程度のキャパシティしかなかったのだろうし、その程度の井戸に生きているのだろう。それはもう、その人の実力だ。


ともあれ、いま再び柿内芳文氏とライターに直結する本をつくっていることは、なんとなく時計が一周してきたような感慨もあるのだ。おれの思いと彼の思いが、ようやくぴったり重なるタイミングになったのかなあ、と。