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幡野広志さんの『なんで僕に聞くんだろう。』

自分にはぜったいに無理だなあ、と思う仕事がある。

たとえばストリートダンサー。あるいは公認会計士。さらにはシステムエンジニア。もちろんそういう——ぼくの属性から遠く離れた——仕事も無理というか、できるはずがないのだけれども、ここで言いたいのはそんな話じゃない。執筆に関する仕事のなかで、やはり「ぼくには無理だなあ」が存在するのである。

これまでに何度か、小説を書いてみませんか、と誘われたことがある。よくわからない人から誘われたことも、優秀な編集者から誘われたこともある。申し訳ないとは思いつつ、ぼくはいずれもお断りしてきた。書いてみたい気持ちは数年おきに湧き上がるものの、けっきょく「ぼくには無理だなあ」としか思えない。迷っている段階でもう、それを書く人ではないのだ、ぼくはたぶん。

エッセイについても、お断りすることが多い。とくに連載であった場合には迷わずお断りしてきた。驚かれるかもしれないが、こんなどうでもいい話を日々書き綴っている note に対してさえ、幾度か書籍化の相談があった。もちろんお断りする。エッセイについてはそう、あと数年経ったらどこかでなにかを連載してみたいなあ、とは思う。そのときにも誘いの声がかかる自分であらねばなあ、と思う。

書評については、できるかもしれないと思ってやってみた。おもしろかったし勉強にはなったけれど、たいへん苦しいものだった。もう一度書評の連載を持つかと言われれば、けっこう真剣に考えると思う。少なくとも即答での「やるやる!」はありえないと思う。


で、小説よりもエッセイよりもぼくが「ぜったいに無理」だと思っているのが、人生相談だ。もちろんいまだ、お誘いを受けたことはない。


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人生相談のむずかしさは、その回答のなかに回答者の全人格が立ち現れてしまうところにある。小説ではごまかしきれたところも、エッセイでは隠しおおせたところも、人生相談というフォーマットにおいては、すべてが丸裸になってしまう。お茶をにごしたり仮面をかぶったりが、いっさい通用しない。というか、そのへんのごまかしがバレバレになってしまうコンテンツ、それが人生相談なのである。

どういうことか、もう少しくわしく説明しよう。

通常、人生相談コーナーは「顔も名前もわからない人」からの手紙(相談)によってはじまる。彼女にフラれた、会社をクビになった、お姑さんにいじめられる、あるいは仏教のいう「生老病死」の苦しみ。どんな相談ごとであれ読者は、相談者その人への興味を持ちづらい。だって相手は、「顔も名前もわからない人」なのだ。

おそらくは回答者もまた、相談者のパーソナリティに興味津々というわけではないだろう。見えもしない「人」を見るのではなく、「相談」そのものを見て、答えるしかないだろう。

それゆえ多くの人生相談では、極端な一般化によって答えが語られていく。「そもそも人というものは」とか、「若い男はしょせん」とか、「日本人はみんな」とか、その手の一般化だ。

これはやむをえない話でもあって、たとえばパートナーとのトラブルを相談された場合、ほんとうにその解決を図ろうとするならば、一方の(相談者の)話を聞くだけではなく、パートナーからも話を聞いて、公平に判断するべきだろう。相手にも言い分があるのではないか、あなたにも悪いところがあったのではないか、少なくとも反省点はあるのではないか。そこまで問いかけるだけの材料が、人生相談のお手紙にはぜんぜんないのだ。だったら議論を一般化して、「人」や「男」や「女」や「上司」やで語っていくのがいちばん無難だろう。


で、ものごとを一般化して語るとなると、それはもう回答者の知性、教養、人格などが丸裸にならざるをえない。回答ではなく、格言のようなことばにならざるをえない。結果として人生相談コーナーは、相談者と回答者のコミュニケーションではなく、場合によっては回答ですらなく、回答者の格言集めいたコンテンツに落ち着いていくし、読者はそれを求めて読んでいる。



……という前提をひっくり返すのが幡野広志さんだ。

幡野さんの人生相談のなにがすごいのか。それは「相談」を見ようとせず、それを発する「あなた」を見ようとする態度だ。見えるはずもない人を、そして失礼を承知でいうならば興味もなかったはずの「あなた」を幡野さんは、懸命に見ようとする。「人は」「男は」「女は」ではなく、「あなたは」で語ろうとする。

これがどんだけすごいことなのか、一度この連載の「相談」だけを読んで、自分だったらどう答えるか、考えてみるといい。考えるだけではなく、文章にして書いてみるといい。そして幡野さんの回答を、熟読するといい。

幡野さんはいつも「人」や「男」や「女」は見ていない。いつだって「あなた」を見ている。つまりは「ぼく」を見ている。だから幡野さんからほめられると、心底うれしい。あの目をもって「ぼく」を見て、それでほめてくれているのだ。そりゃあうれしいに決まっている。



幡野広志さんの『なんで僕に聞くんだろう。』は、人生相談の本ではない。これはひとりの写真家と、たくさんの人びとの、往復書簡だ。

幡野さんはときおり——もちろん相談者さんの許諾を得たうえで——相談者さんからの返事を公開する。あのうれしい返事を読むたびに、ぼくは「ぼくもこんな本がつくってみたいなあ」と思うのだ。人生相談はできないけれど、ぜったいに無理だけれど、読者の方々とのほんとのコミュニケーションが生まれる本を、つくっていきたいなあと思うのだ。


幡野さん、すばらしい本の出版、おめでとうございます。

毒を食らわばサラダで。
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ライター。バトンズ代表。著書・共著「嫌われる勇気」「古賀史健がまとめた糸井重里のこと。」「20歳の自分に受けさせたい文章講義」など。週日更新しています。http://www.batons.jp

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