見出し画像

ライター冥利の、その意味を。

自分のなかにいつも、リストのようなものをつくっている。

この人の本を書きたい、あの人の本を出したい、というリストだ。日々変動するリストではあるものの、そこに入るメンバーはさほど多くない。ぼくの興味関心の狭さがそうさせるのか、あるいはそれぞれの本にかかるであろう時間や労力に見当がつくからか、だいたい片手の指で足りるくらいの「この人」や「あの人」が、リストに入っている。

長らく、その「経営者部門」で第1位を守っていた方がいた。いつかこの人の本をつくってみたい、この人のことばを本というかたちで世に出したい、と願い続けた方だ。


任天堂の、岩田聡さんである。

きのう、ほぼ日の永田泰大さんと『岩田さん』という本について語り合う、というかぼくが質問をぶつける、トークイベントがおこなわれた。途中からは会場にお越しくださった糸井重里さんも加わり、たのしい話をたくさん聴くことができた。

おふたりの話を伺い、あらためて思った。岩田聡さんという人の、いちばん根っこにあった動機とは、「びっくりさせたい」ではなかったのか。隣の人を、びっくりさせたい。会社のみんなを、びっくりさせたい。目の前に座る誰かを、びっくりさせたい。ゲームファンを、そのおとうさんやおかあさんを、びっくりさせたい。

びっくりさせる手段は、たぶんなんでもいい。プロダクトであっても、そのプログラムであっても、マネジメントであっても、アイデアであっても、おしゃべりであっても、ほんとになんでもいい。とにかく「びっくりさせたい人」が岩田聡さんで、その先にみんなの「ハッピー」を見ていた方だったのではないか。イベント終了後の帰り道、そんなことを思った。


----- ✂ -----


永田さんのお話で印象的だったことをひとつ。

『岩田さん』という本を完成させるにあたって、永田さんは4年近い時間をかけている。少しずつ、少しずつことばをまとめ、原稿をつくっていった。4年間ずっと、あたまの片隅に「この本」があった。


「でもそれは、ぜんぜん嫌な荷物じゃなかったんですよ。うれしい荷物だったんですよ」


正確な言いまわしは忘れたものの、永田さんはそんなふうにおっしゃった。ほんとうにそうだっただろうなあ、と思う。永田さんはプロレスファンじゃないのであの場では言わなかったけれど、まさに前田日明の言った「選ばれし者の恍惚と不安、ふたつ我にあり」だよなあ、と。


たとえば「おれの本」を、おれが書く。

意外に思われるかもしれないが、これは誰にだってできることだ。出版社が見向きもしなかったとしても、自費出版、同人誌、Kindle出版、あるいはこの note で公開するなど、いくらでも道はある。もっといえば日記帳だって「おれの本」だ。

一方、ライターは違う。仮にぼくが「ビル・ゲイツの自伝を書きたいなー」と思っていたとしても、まあ100%書けない。なぜならライターは選ばれる仕事であり、ぼくがビル・ゲイツから「じゃあ、古賀くんにお願いしようかな」と指名を受ける可能性は皆無なのだ。

これは岩田聡さんについても同じことが言えて、もし仮に岩田さんに出版の意思があったとしても、ぼくやほかのライターはたぶん、指名を受ける機会がなかった。それだけで小説になるくらいの縁、ありえないほどの運、そしてそれを引き寄せた類い稀な実力。さまざまなものが重なって、永田さんは『岩田さん』という本の編著者に選ばれた。それは岩田さんから選ばれたとか、糸井さんから選ばれたというより、時代そのものに選ばれた、と言ってもいいのかもしれない。


自著の刊行を夢見るライターさんは、多いと思う。ぼくも若いころは、思っていた。でもね、「おれの本」なんて、誰だっていつだって書けるんだよ。それよりなにより、あなたがいま取り組んでいる原稿は、あなたが選ばれた結果、あなたの手元にあるんだよ。

卑屈になりたがるライターは多いけどさ、その「選ばれること」のしあわせをもっと、自覚したほうがいいとぼくは思うんだよ。「ライター冥利」ってことばの、その意味を。