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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2020年5月の記事一覧

社名にまつわるエトセトラ。

社名にまつわるエトセトラ。

note にこの話題を書くのはおもしろいな。

先月、note の運営母体である株式会社ピースオブケイクは、「 note 株式会社」に社名変更した。サービス開始から6周年のタイミング。主力サービス(月間アクティブユーザー4400万人)に育った note と社名を統一することで、一層の認知度向上を図ろう。また、note というサービスへの本気度を示していこう。そんな態度表明でもあるのだろうと、推察す

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この本を書き上げた先に。

この本を書き上げた先に。

■ 表記スタイルを変更したきのうから、note の表記スタイルを「明朝体」から「ゴシック体」に変更した。横組みの、しかもウェブ媒体であることを考えるともっと早くこっちにしていてもよかったのだけど、なんとなくの馴染みからずっと明朝体を使ってきた。やっぱりスマートフォンで読んだときには、ゴシック体のほうが視認性も可読性もよさそうだ。また気が変わって明朝体に戻すかもしれないけれど、しばらくはゴシック体で

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フライトジャケットの問いかけ。

フライトジャケットの問いかけ。

携帯電話にインターネット。さらにはカーナビゲーションシステム。

これらのイノベイティヴなテクノロジーはみな、軍事技術を転用して開発されたものだと言われている。「ルンバ」に代表される家庭用お掃除ロボットもまた、地雷探知ロボットをベースに開発されたものらしい。もっと身近なところでいうと映画『トップガン』をきっかけに大ブームとなったフライトジャケット。あるいはイギリス陸軍が塹壕戦のためにつくった、防寒

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この数か月を振り返って。

この数か月を振り返って。

ようやく東京でも、緊急事態宣言が解除された。

人に会えるよろこびや、気ままに外食のできるよろこび、旅行にだって行けちゃうよろこび。いろんな「たのしみ」が待っているのだろうけれど、それ以上にはやくどうにかなってほしいのが、ソーシャルメディア空間の三密である。

平時であれば会うはずもない人たちが、非常時のソーシャルメディア空間では顔を合わせる。みんなが同じ話題を追いかけているせいで、別の場所でそれ

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犬や映画や週末や。

犬や映画や週末や。

エアポケットに入った感がある。

ぜんぶで10章ある本のうち、7章まで書き終えたとよろこんでいたのが先週の水曜日。とくに5〜7章あたりは本のなかでもいちばん書くのに苦労すると思っていたところだったので、ヤマを超えたおかげでちょっと気の抜けてしまっている自分が、ここ数日いる。そして気の抜けたときの常として、この週末には風邪(鼻のやつ)も引いてしまった。まだなんにも終わってないと言い聞かせて、もう一度

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バリカンから遠く離れて。

バリカンから遠く離れて。

いま、猛烈にバリカンがほしくなっている。

中途半端に伸び散らかした髪——伸びた、というよりそれは「散らかった」のほうに重心を置いている——を、バッサリ切りたい欲に駆られている。今月中には東京も緊急事態宣言が解除されるのだろうし、そのあと美容院に行けばいい、経済をまわしたほうがいい、というご意見はごもっともだ。けれどもなんだかもう、おれの髪なんて自宅バリカンで十分じゃないか、という気持ちになりかけ

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最後のタスマニアの虎。

最後のタスマニアの虎。

犬は吠えるが、猫は鳴く。

こう書くとなにかの格言やことわざのようであるが、ただの事実である。犬が「わん」といえば人は「吠えた」と思い、猫が「にゃあ」といえば「鳴いた」と思う。ちなみにライオンの「がおー」はたぶん、「吠えた」だろう。

何日か前の CNN ニュースで、地球上で生存が確認された最後の「タスマニアン・タイガー」のビデオが公開された、と報じられた。

和名をフクロオオカミというこの動物は

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ぼくの考える「プロ」の条件。

ぼくの考える「プロ」の条件。

もう後半戦、いや終盤戦と言ってもいいだろう。

いま書き進めている『ライターの教科書(仮)』という全10章の本、どうにかやっと、7章まで書き終えた。残りは8章、9章、最終章。まだまだトンネルは続くけれど、ずっとずっと先のほうに光が見えてきた気がする。ここから先の原稿は、ひと文字ごとに「おわり」を肌で感じつつ、書いていけそうな気がする。

とはいえ最終章まで書き上げるのは早くても2か月くらい先になる

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五線譜を読むあの人のように。

五線譜を読むあの人のように。

いまさらかよ、などと笑わないでほしい。

きのう、生まれてはじめて zoom ミーティングなるものをやった。対面取材がひとつもない長大な自著を書くばかりのぼくにとって、文字どおりに不要不急だと思われていた zoom ミーティング。しかしきのう、ついに使わざるを得ない日がやってきた。税理士さんたちとの、株式会社バトンズ・第6期決算に向けたミーティングが組まれていたのだ。

うちのような会社でも、いち

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なんでもできたはずの時間。

なんでもできたはずの時間。

もうすぐ、1年になるのか。

書くことが思いつかず、「去年のいまごろはなにをしていたんだっけ?」と昨年5月の note をあさっていたら、この投稿に突きあたった。幡野広志さんの『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』の刊行から、もうすぐ1年が経つ。個人的にも大好きな本だ。

その後、幡野さんは『なんで僕に聞くんだろう。』という本を刊行し、その連載はきょうも続いている(きょう更新のぶんは

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言いにくくなったことば。

言いにくくなったことば。

言ってないし、聞いてない。

じつはここ数日、喉の奥になにかが引っかかっているような違和感がある。あるいはまた先月の中旬、うすい微熱が続いて鼻の出る日が何日かあった。普段の(例年の)ぼくだったらきっと、「ちょっと風邪ぎみで」とここに書いたり、人にしゃべったりしただろう。けれども今年はなんか、それを黙っている。同調圧力という流行りことばを持ち出すほどのことではないにしても、「それを言うこと」に付随す

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Tシャツというメディア。

Tシャツというメディア。

例年5月って、こんな感じだったっけなあ。

ここ数日、もうすっかり夏の陽気である。春物として買いためていた幾枚かの服たちは、このまま秋までクローゼットに閉じ込めておくしかなさそうである。なので仕方がない、こころが疲れたときのショッピングサイトめぐりを趣味とするぼくは、最近ひたすらナイスなTシャツを探している。

そもそもTシャツは、かなり不思議なアイテムだ。伏せ字混じりの扇情的な文言が印刷されたり

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ペーパーレスの境界線。

ペーパーレスの境界線。

いまのオフィスを借りるときの話である。

小規模オフィスが多数入居する、いかにも「雑居」の名がふさわしいビル。きっと何十・何百の社員さんを抱える企業がオフィスを借りるときとは比べるべくもないくらい審査は簡単なはずだ。それでもまあ、いちおう提出すべき書類はいくつもある。登記簿謄本とか過去数年分の決算書のコピー、銀行口座の写しもたしか、提出したおぼえがある。そのなかで、仲介業者の担当者から思わぬ申し出

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わたしのインフルエンサー計画。

わたしのインフルエンサー計画。

先週末、数か月ぶりに病院に行った。

常用している薬がなくなったので、それをもらいに行ったのである。病院はさすがの厳戒態勢で、入口と出口(普段は非常口のように使われている)を別にして、両方の自動ドアを開放して換気し、入口と出口のそれぞれに消毒用アルコールを設置、待合室のソファも3分の2が「×」印の紙が貼られ、ソーシャルディスタンスを保つよう注意書きが添えられている。数か月前とはまるで別の空間だった

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