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2020年2月の記事一覧
病院について思うこと。
いろんな本をつくってきてよかったなあ、と思う。
ぼくはこれまで100冊ほどの本をつくってきた。大学教授からスピリチュアルカウンセラーまで、それはそれはいろんな方々の本をつくってきた。どの本についても、たくさんの学びがあった。
お医者さんの本については、これまで3冊をつくった。
もちろん、「○○すると免疫があがる」みたいなインチキ健康本ではない。医療崩壊の現実や、それを踏まえたうえでの医療制度
こういうときに、頼りにすることば。
ああ、言っちゃったよ。ことばにしちゃったよ。
仕事をしながらふと、「あーあ。なんか、やる気出ないなあ」と声に出し、おおきく背伸びした。きのう夜おそくまで眠れなかったこともあるけれど、よせばいいのに朝方、長めに犬の散歩をしたこともあるけれど、なんとなく気持ちが疲れちゃって、やる気が出ない。
すると向かいの席に座る田中さんが、「わたしまでやる気なくなっちゃったじゃないですか」と言いがかりのような、
おおきなことより、ちいさなこと。
きょうもまた、会社でこの話になった。
遅筆と速筆についてである。もはや胸を張っていえるくらいにぼくは、筆が遅い。効率がわるく、生産性が低い。そんなぼくと5年間も一緒に働いているバトンズ田中さんは、段々と「速筆」ではなくなってきた。むかしに比べ、あきらかに速筆ではなくなってきた。仕事中よく「うーん、うーん」みたいな声を出しているし、ため息も漏らす。いいぞいいぞ、とぼくは思う。
かつて超速筆のライ
成長するわたしたち。
これはとても大きな進歩なのだと思う。
うちの犬は、ビーグルという狩猟のためにつくられた犬である。そしてビーグルは、狩猟犬のなかでも「嗅覚ハウンド」と呼ばれる嗅覚にすぐれた犬種で、動物の匂いを追って狩りを助ける。しばしばビーグルが国際空港などの場で麻薬探知犬や検疫探知犬として活躍するのは、その類い稀な嗅覚ゆえのお仕事なのだ。
ただし、その嗅覚ゆえにビーグルは、非常に「くんくん」が好きである。散歩
この三連休が終わったら。
明日からジャパンは三連休である。
今年に入ってから、週末も含めてスケジュールが埋まりまくっている日々が続いていた。明日こそ(大事な)お仕事があるものの、明後日と明明後日はなんの予定も入っていない。どうせ夜遅くまでだらだら Netflix を観たり、犬と公園や河川敷に出かけたりで終わってしまう生産性の低い2日間だろうけど、そういう時間こそがいま、必要なのだ。思う存分にだらだらしようと心に決めている
カップヌードル、太鼓とダンス。
きょうは原稿を書かない日だった。
きのうまでに書き終えた章、その流れを踏まえ、次の章からの構成をあれこれ考える一日だった。考えはまだまとまっておらず、あしたもまた「書かない日」になるはずだ。構成を考えまくる日になるはずだ。正直、いまは調子がいいし、なにも考えないままこの熱にまかせて書いていきたい気持ちもあるのだけれども、それをやって失敗した記憶は何度となくある。調子がいいと思えているからこそ、一
調子がいいのか悪いのか。
このところ、原稿の調子がいい。
読み返せば頭を抱えてしまうような、まだまだ荒削りにもほどがある文章だとは思うけれど、「書けたこと」や「書こうとしていること」については、ひさしぶりに興奮するほどの手応えを感じている。オリンピックがはじまるころまで書き続けるはずの長大な本だけれども、もうぼくのなかでは「とんでもない本」になることが確信できている。
という興奮のあまり昨夜、こんなツイートをしてしまっ
うまくいく、ということ。
野村克也さんが他界され、たくさんの特集を目にする。
残念ながらぼくは、現役時代の野村さんを知らない。1980年に引退されているので見ているはずなのだけれど、パリーグ中継のなかった時代、正直野村克也という選手の記憶はない。解説者に転身されて以降の「野村スコープ」のノムさんが、野村克也さんとの最初の出会いだ。ヤクルト、阪神、楽天、それぞれにおもしろい監督さんだったなあと思う。「プロ野球の監督さんに『
なんだか長かった、きょうの出来事。
ひさしぶりに早起きをした朝だった。
スマホで天気予報アプリを見ると、気温も上々。そこで、よし。一念発起したぼくは犬の散歩時間を長めに設定した。けさは2時間、散歩しよう。てくてく歩きまわるだけではなく、公園を一緒に走り、思う存分にくんくんをさせ(これが犬にとっては相当にあたまを使う行為なのだそうだ)、散歩から帰ったらさすがにバタンキューしてしまうくらい、疲れさせてやろう。
がんばった。写真を撮っ
書く人だから、そりゃあね。
わたしは「書く人」である。
ライターなんだから、そりゃ「書く人」に決まってるだろ。なんてお叱りはよしてほしい。ぼくは文章家との意味で自分を「書く人」だと言っているのではない。もっと原始的な、肉体的な意味でそう言っている。つまり、パソコンなどで文字を「打つ人」ではなく、紙とペンをつかって「書く人」だと言っているのだ。
もっとも、仕事の原稿は「打つ」。ここの note だって「打つ」。でなければ、
出たとこ勝負の毎日を。
きのうは茨城県の水戸市で講演会だった。
いま続けている『嫌われる勇気』200万部突破記念の講演会ツアーでは、ぼくと岸見一郎先生それぞれが数十分の講演をおこない、そののち質疑応答に入るスタイルを採っている(初回の愛知県・春日井市を除く)。そしてきのう、話の流れでぼくはこの note について語りはじめた。まったく予定に入れていない話だった。
数えてみれば5年以上、ずっと毎日(ウィークデーは)これ
蛇口の水を、がぶがぶと。
自分は若いのか、若くないのか。
誰にとってもこれは、もう一生ついてまわる問いかけなんだと思う。ウソみたいなほんとうの話をしよう。ぼくが最初に自らの「老い」を自覚したのは、4歳のときだった。幼稚園の年少さんから年中さんにあがるとき、自分よりも若い子が台頭してくることを知って、戦慄したおぼえがある。それまでぼくは、同じ団地に住むお姉ちゃんたちにかわいがってもらっていたのだけれど、(年少さんの)あいつ
好きだったなあ、「インターネット」。
ああ、「インターネット」は終わったのだなあ。
きのう風呂に入りながら、つくづくそう思った。きっとかしこい人たちはとっくに気づいていて、いろんな場所で語っていることなんだろうけれど、ようやく自分のことばで、その理解に追いついた。ぼくが本格的に「インターネット」をはじめたのはたぶん、1996年から1997年にかけてのことだ。そこから20年以上の月日が流れたいま、あの「インターネット」は完全に終わっち