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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2019年12月の記事一覧

あぶないあぶない、忘れるところだったです。

あぶないあぶない、忘れるところだったです。

そうだ、そうだ。忘れるところだった。

前回、会社を設立してからまるまる5年が経過したこと(すること)を書いたのだけれども、ということはつまり、ここの note を書きはじめてからも5年が経過したということなのだ。

会社をつくってから5年間の毎日が——土日は更新していないとはいえ——ここに書き記されている。公私にわたって、ほんとにいろんなことがあった5年間だったけれど、そのほとんどぜんぶがここに

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年末のご挨拶に代えて。

年末のご挨拶に代えて。

どういう理由なのかわからないけれど、ひとまずとてもいいことだ。

まわりで、きのう——つまりは12月26日の木曜日——を仕事納めとする会社が多かった。「へええ。なんで木曜なんだろうね」なんてことをオフィスで田中さんとしゃべっていた。そして上司として、あるいは経営者として、やさしさや懐の深さのつもりでカレンダーを見つつ、「田中さん、30日と31日は休んでくださいね」と言った。数秒の沈黙後、おどろきあ

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今年を振り返るには、まだ早いけれども。

今年を振り返るには、まだ早いけれども。

特記すべき出来事ではないものの、きのう柿内芳文氏と会った。

早かったこの一年を振り返り、来年のことを話し合った。もちろん来年のことといえば、ぼくの書いている本が中心になるのだけれども、それ以外にも少し「来年はこんなことをしたい」とか「やっぱりこの歳になると」とか、原稿から離れた話もすることができた。

『嫌われる勇気』をはじめ、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』だったり、堀江貴文さんの『ゼロ

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もう一度出会った、あのことば。

もう一度出会った、あのことば。

それはそれはもう、たいそうおどろいた。

いまぼくは「ライターの教科書」的な本を、書いている。今年の4月ごろから書きはじめ、まだまだずっと書いている。さすがに来年のいまごろには書き終えているはずだけど、さきほど編集の柿内芳文氏から「オリンピックまでには書き終えましょう!」と言われたうえで、なぜかゴールデンウィーク明けに締切を設定された。まあ、それが「目標」となってしまうくらい長大なスケジュールで、

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あのとき見た、クリスマスの光。

あのとき見た、クリスマスの光。

クリスマス・イブということで、それらしい話を。

もう20年以上も前、24歳の夏にぼくは勤めていた会社を辞めた。いくつかの理由が重なっての退職だったけれど、直接的な原因は会社を休んでフジロックに出かけたことを社長に咎められ、フジロックを認めねえとは馬鹿野郎、と大喧嘩になったことだった。誰からも知られず、誰からも認められていなかったぼくは、ただただ血気盛んな24歳だった。

会社を辞めてぼくは、仕事

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週末のインスタグラムと、それを見るおれ。

週末のインスタグラムと、それを見るおれ。

自分はいったいなにをやっているんだろうなあ。

たとえば木曜日。いよいよ週末が迫りつつあることを実感してぼくは毎週、小規模ながらラストスパートがかかる。今週中にここまでは終わらせよう、ここまでは書いてしまおう、と一応のラストスパートがかかる。同時に週末にはあれをしよう、これをしよう、とプライベート方面の予定をいくつか立てる。あの本を読もうとか、あの映画を観ようとか、きわめて小規模な、予定ともいえな

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ガンズ・アンド・ローゼズと犬。

ガンズ・アンド・ローゼズと犬。

本日はぺだるの出社日。

うちのオフィスは、何十年も前に外国人向けのマンスリーマンションとして建てられたのち、その需要が目減りしていったのか、小規模オフィス向けに改築された建物に入っている。元マンションであるからつまり、壁を隔てた両隣に、よその会社が入っている。

そのため、夜の遅い時間に原稿を書いていたりすると、ときおり隣の会社、もしくはそのまた隣の会社が、宴会的な、うえーい的な叫声をあげはじめ

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わたしは打ち合わせが苦手だ。

わたしは打ち合わせが苦手だ。

打ち合わせが苦手である。

われながらライターを天職だと思える機会があるとすれば、同じ日に複数の打ち合わせが入っていたときだ。ああ、「これ」が本業じゃなくてほんとうによかった。ひとりもくもくとパソコンに向かうことを本業にできて、ほんとに助かった。「書くこと」は好きでも得意でもないけれど、おれにはこれがぴったりだ。複数の打ち合わせを終えるたび、そう思う。ぼくにとっての打ち合わせは、「書くこと」よりも

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長いのではなく、でかい。

長いのではなく、でかい。

NHKに「100分de名著」という番組がある。

国内外の「名著」を全4回、100分(25分×4回)で紹介していく、おもしろい趣向の番組だ。もちろんそれぞれの「名著」を、100分で理解できるとは思わないし、ほとんどの場合において番組はそうつくられていない。おそらく番組制作者のなかには「むかし読んだあの名著を、もう一度読み返してみよう。そのきっかけをつくろう」という裏テーマがあるのではないかと、思い

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あのとき知ったミートソース。

あのとき知ったミートソース。

こういう話は写真を撮ってからするべきだと、わかっているものの。

最近、人生で初のナポリタンブームが到来している。お店で食べるナポリタンではなく、自分でつくるナポリタンだ。ソーゼージを切り、たまねぎを切り、ピーマンを切り、マッシュルームは入れず、ケチャップと(ほんの少しの)中濃ソースをベースにつくる、ナポリタン。おおめに入れたバターが溶けだし、たっぷりと粉チーズをふりかけ、ぱらぱらとパセリをふって

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応援のできる人に。

応援のできる人に。

フェイスブックで「6年前の投稿」として、こんな画像が流れてきた。

そうだった、そうだった。『嫌われる勇気』の発売は6年前のいまごろ。はじめて出稿していただいた新聞広告がうれしく、フェイスブックにその画像を貼りつけていたのだった。ここに踊る「人生を一変させる新しい古典」のフレーズは、編集の柿内芳文氏と一緒に考えたのだった。さすがにもう、記憶のかなたと言ってもいいくらい、むかしのことに感じる。

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わたしの世界は広くてせまい。

わたしの世界は広くてせまい。

師走ということばを教わったのは、小学生のときだった。

先生も走りまわるくらいに忙しい。だから12月のことを「師走」って言うんですよ。担任の先生から聞かされた——いま思えば若干のツッコミどころがある——この話。当時小学3年生だったぼくは、思わず笑ってしまった。ほかならぬ「先生」その人が、「先生も走りまわるくらいに」と語っている姿のおかしさに笑ってしまった。ほっほー、ずいぶんお偉いものですなあ、とに

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ストック癖という名の貧乏性。

ストック癖という名の貧乏性。

あんドーナツという食べものがある。

うちの高校の学食では、「あげあん」の名前で売られていた。もちろんこれは小倉あんを揚げた食べものではなく、小倉あんを包んだ小麦の生地を、ほどよく揚げた食べものである。「あげあん」の名は、不正解である。

じゃあ、福岡大学附属大濠高等学校の学食は、あんドーナツの名前であれを販売すればよかったのか。おそらくそれも違うだろう。なぜならドーナツとは一般的に、ぽっこり真ん

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背中でも、闘う人。

背中でも、闘う人。

あのとき聴いたことばの意味が、ようやく理解できた気がする。

きのう、代々木第一体育館で開催された、矢沢永吉さんのコンサートに出かけた。矢沢さんにはこの夏、インタビューをさせていただいていた。取材前の(こちらの勝手な)緊張感も含め、最高に刺激的な時間だった。そして、今年の年末ツアーにはかならず参戦しようとこころに決めていた。あのインタビューのとき目の前にいた、たまらなく魅力的な「人間・矢沢永吉」と

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