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2018年11月の記事一覧
揚げものと汁もの、そのハーモニー。
あの部屋に住んでいたのだからたぶん、15年くらい前。
ぼんやりテレビを見ていると、日本で活躍する外国人タレントさんが日本食への偏愛を語る、という趣旨の番組が放送されていた。寿司や天ぷら、すき焼きなどのステレオタイプなジャパニーズ・フードではなく、たとえばお好み焼き、たとえば焼き鳥、たとえば牛丼など、日本で生活する人びとならではの「わたしが好きな日本料理」を語る番組だった。
そしてあるアジア系の
気忙しい月末の、気忙しい木曜日。
来週にはもう、12月である。センセイもどたばた走る、師走である。
師走ということばをはじめて知ったのは、小学3年生のときだった。一応は「センセイ」であるところの担任教師がその意味を語ることの滑稽さに首をかしげつつも、むかしのひとはおもしろいことばをつくるものだなあ、と感心したのを憶えている。……と、本来ならここで師走ということばについてのくわしい感想や、睦月、如月、弥生に卯月といったことばのおも
論理でもなく、共感でもなく。
こういうものをだらだら書いておきながら言うのもへんだけれど。
ライターとしてのぼくは自分の原稿について、わりと論理的であることを意識している自負がある。文章の書き方みたいなものを問われたときも、いちばん最初に挙げるポイントはたぶん「論理的であること」だ。その考えが間違っているとは、いまでも思わない。
とはいえ最近、それだけじゃ弱いよなあ、と思う機会が増えてきた。
たとえば、なんだろう。歩きタ
誰が、なんと言ったらおれは。
誰がなんと言おうと、〇〇○である。
一般にこれは、不退転の決意をあらわすことばだ。「誰がなんと言おうと、マクドナルドの最高傑作はソーセージエッグマフィンである」みたいなどうでもいい話から、「誰がなんと言おうと、わたしはこの事業をやり遂げる」くらいに鼻息の荒い話まで、議論の余地がないくらいに決まりきった事実、あるいは決意を示すことばとして、ひとは「誰がなんと言おうと」の語を、あたまにつける。
ぼ
アクセルとブレーキの関係を思う。
タクシーに乗るとたまに、ものすごく荒い運転手に遭遇する。
気が荒く、ことばが荒いのはもちろんのこと、なによりまずは運転が荒い。前後左右の車に毒づきながら、ハンドルを叩くようにクラクションを鳴らしつつ、不用意な加速減速をくり返す。閉鎖された車内にはネガティブな感情が充満し、頼むからお前の勝手な不機嫌をまき散らさないでくれ、この場を怒りで染めないでくれ、と心底思う。
そういうタクシーに乗っていてつ
きのうのこと、10年前のこと。
きのう、『嫌われる勇気』増刷のお知らせが届いた。
この本に限らず、いまも定期的に版を重ねてくれている本が、何冊かある。増刷のお知らせが届いたとき、ぼくが最初に考えることはなにか。そりゃ、印税のことをまったく考えないと言ったら嘘になるけれど、いちばんに考えるのはそこじゃない。最初に思うのは「ああ、まだそれだけの人に出会えていなかったのだな」だ。そして「ここから、それだけの人たちと出会うチャンスが生
ようやくわかったかもしれないこと。
「友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」
石川啄木の、有名な歌だ。書きながらいま、高校時代の現国教師がやたら啄木のことを好きだったのを思い出した。啄木のどんなところを激賞していたのかは、憶えていない。とんだ暴力教師だったけれど、おかげで彼の授業はほとんどボイコットして名画座にしけ込んでいたのだけれど、いまになると少し、彼の語る石川啄木を聞いてみたい気もする。
という
おのれの不徳を試すかのように。
まだまだ先のことと思っていたら、じつは目前だったので。
前にも書いたことではありますが来月の中旬、一週間の予定で海外に行ってきます。期間としては12月15日から12月21日まで。まあ、さすがにそれまでにはオフィスの引越をすませておかなきゃいけないなあ、と先ほどカレンダーの13日&14日に「オフィス引越」と書き込んで、なんだかもうひと仕事終えたくらいの気持ちになっているのはぼくのダメなところで。
ぐずぐずになると、ほしくなるもの。
引越作業がままならぬ。
新オフィスへの引越計画を着々と進めていた、われらがバトンズ。けれどもこういうのは代表者の怠惰なパーソナリティが存分に反映してしまうものなのか、ちくとも作業が前に進まない。じつを言うと本日から契約がはじまっており、先ほど鍵を受けとったこともあってなんなら明日からでも新オフィスで働きはじめてもいいのだけれど、現オフィスの賃貸契約は来月末まで残っているゆえ、どうも自分の性格から
わたしの味噌汁はあなたの味噌汁じゃない。
数年前、海外の犬番組にハマっていた時期がある。
カリスマと呼ばれる世界的ドッグトレーナーの名を冠したそのドキュメンタリーは、素行の悪さから貰い手のない保護犬をドッグトレーナー氏が見事に手なずけ、犬がほしいと応募してきた視聴者3組に対して簡単な面接・実技試験をおこない、選抜の末その保護犬を譲り渡す、という啓蒙性とエンターテインメント性にすぐれた番組で、ぼくは毎週たのしみにしていた。おれも早く犬と暮
ただただ、おなかを壊しているだけの話。
きのうの夜からどうも、おなかを壊している。
帰りしなに食べたラーメンが悪かったのだろうか。深夜に目を覚まし、あわててトイレに駆け込むほど見事に、おなかを壊している。今朝になっても腹の虫は収まらず、それ用の薬を飲み、出社後の駅で再びトイレに駆け込み、いまもなお不安なおなかを抱えながらこれを書いている。
風邪を引いて薬局に行くと、まことに風邪薬というやつは日進月歩だなあ、と思う。毎年のように新商品
クリエイティブにとっての最大の敵。
先日、会社の田中さんから妙な感心のされかたで言われた。
「古賀さんは〇〇〇の原稿をやっていたときも、毎日 note を書いてたんですよね」。これだけ聞くと、どんなに忙しくとも実直に更新を続けるまじめなひとのように映るかもしれないけれど、感心のポイントはやや異なる。彼女が言わんとしていたことを年長者への礼を排したことばに置き換えると、「お前はあの原稿が大幅に遅れ、あの最恐におそろしい編集者さんから
「書ききる」ことのむずかしさ。
きのう、おめでたいニュースがふたつ飛び込んできた。
浅生鴨さんの『伴走者』が第35回織田作之助賞の最終候補に選ばれ、燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』が第6回ブクログ大賞のフリー部門大賞に選ばれたのである。とてもうれしく、おめでたく、すごいことだ。シャイなおふたりは揃って自らを「受注体質」と呼び、発注があったから書いた、とおっしゃるのだけど、たとえば「富士山を50メートル右に動か
その生地に明太子を入れるな。
エレベーターに乗りこむと彼女は、バッグからなにかを取り出した。
ビニールの個包装をその場であけ、両手で大事そうに抱えながら彼女は、レモン色のそれを、もぐもぐと咀嚼しはじめた。一緒に乗り込んだ同僚らしき女性が「はあ? ここで食べる?」とあきれ笑う。もぐもぐをやめない女性は、困りきったように、けれどもうれしそうに答える。「わたし、これ我慢できないのよ〜」。彼女の分別や体裁をそこまで狂わせてしまうレモ