日曜日の夜は眠れない

昨日は眠くて堪らず、一日中ぐったりベッドに寝そべって過ごして、夜に少し熱が上がって、ご飯を食べてまた寝て、朝になって起きてぐだぐだとスマホをいじって、身体を起こしてメイクをして出掛けたはいいけれど、探していたものは見つからず、食欲もなくて、ただうろうろと歩き回って、人に贈るものを探していたのに、結局自分のものばかり買った。
欲しいと思っていたガラスのポットを買った。
いちごミルクを買って飲んだ。
お団子を買った。
みたらし団子は売り切れていた。
家に帰ってお団子を食べて、陽が落ちるまでまた寝そべっていた。
夜になって少し気分が良くなって、白ワインを飲みながら好きな動画をたくさん見た。
もうすぐ誕生日を迎える人のことをそれぞれに考える。
なんだか突然はかない気持ちになって、自分が記憶していた「はかない」の語源が合っているか調べ直してみたりして、涙の出るような泣きたくないような気持ちで、そんな内にも刻々と明日は迫ってくる。

また寝そべってスマホを開く。
私は以前よりもずいぶん、少女の体をモチーフにした作品に嫌悪を抱くようになったなぁと感じる。
単純に安易に美しいということではだめで、付帯する意味の方が重要だと考えることは進歩だろうか、頑迷になっただけだろうか。
進歩だとしても、それなら成長しなくてよかったなぁと思うことがままある。
あんなやわやわで消えかかるような心の持ち主だったことが懐かしく、それなのに美しいということには無条件に涙ぐんでいられたのは無知の象徴にも思える。
だからこそ思春期の少女の姿はうつくしくあり、望郷のように思い起こされるのだろうか。もう戻れないから。
いつかの私がそうであったこと、がモチーフとして現される彼女の姿に重なる。
私のこの気持ちの根底には、そうでなかった人が少女の姿から想起されるこの匂いを受け取ることへの嫌悪があるのだろうか。
何にも知らないくせに、わからないくせにと、いつまでも社会を、男を罵っていたいのかもしれない。

(私はいま、一度「いつまでも大人を、男を罵っていたいのかもしれない。」と書いて、「大人」のふた文字を消して「社会」に書きかえた。私にとって大人に女は含まれるけれど、社会にはまだ女が含まれていない側面がある。私が反発したい社会。)

読んでみたい本ばかりが増える。
日曜日のよるは眠れない。

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