総合型選抜のゆくえ
しばらくぶりの投稿です。
私が主宰する塾(カンザキジュク)の本年度の総合型選抜の対応がほぼ終わり、結果がおおよそ出揃いました。
今年は教室を二子玉川に移転して2年目。
しっかり実績を出せたことに安堵しております。
ところで、毎年思うのですが、私が素晴らしいと思う生徒の取り組みが、大学側になかなか届かないということもあるのですよね。
志望理由書は通過したけれど、小論文や面接でNGというのが典型例です。
才能ある高校生を取りこぼしているなぁ、と感じます。
先日、某大学のアドミッション・オフィサー育成研修に参加したときにも思ったのですが、予め研修なり擦り合わせをしないと(要は入試の設計如何で)逸材は採用できないということを痛感しました。
現状、指定校推薦余りが著しい中堅以下の私大が入学者数を確保するには総合型選抜を用いらざるを得ない現実がある中で、また育成型の総合型選抜がなかなか根付かない中で、このままの総合型選抜でよいのだろうか、と考えてしまいます。
一方、受験生の能力(コンピテンシー、というのがいいのかもしれません)が上手に評価されているのか、というところも気になります。コンピテンシー評価の観点だと「行動事実(過去行動した事実)」をメタし、大学側が求める人物像と合致するかどうかを確認することになります。でも、それは課外活動や探究でないと見えにくい(普段の授業ではわかりにくい)し、そもそもメタする力が十分ではない高校生にはこの手続きが難しいのですよね(だから私のような人間が支援せざるを得ません)。
余談ですが「うちの学校では指導体制ができています」というところも結構あるように思いますが、多くは受験生の行動事実のメタ化をし、アカデミズムに明るい人が、個別対応に近い形で支援しているものと推測します。そうなるといわゆる「ノウハウが人に付く」ことになり、組織立ったものにはなりにくいんですよね。
添削指導とかもあり得るけれど、それだけではマインドセットがしにくいし…
要は総合型選抜で結果が出ているところは誰かがどこかでコストをかけているといいことです。
それは教師なのか、外部人材なのか…
ここまでの力を割いて、何のために総合型選抜(そして対策)をやっているのかが問われていると思います。
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