見出し画像

総探とコンテスト出場

総探では「コンテスト出場」をゴールに据えることが多いようです。何のためにコンテストに出場するのか、ということを考えてみます。

中間発表を含め、最終発表会やコンテストは「他者から批判的な眼差しを受ける機会になること」が最も重要な要素だと思います。自らがつくったプロダクトであろうと、積み重ねてきた研究であろうと、つくった者の人格を否定することなく、その意図を実現するためにどういう懸念があるのか、論理の飛躍があるのか、フラットに語り合うというために行い、より実現に近づけるという役割を担っています。裏を返せば、発表会やコンテストがなくとも批判的な指摘を都度受ける機会があり、それを受け止めるマインドが整っていればよいということになります。

ここで「自己効力感が得られる」というところを重視するのも理解できます。ここまで頑張ってきたのだということを認めて、ときには褒め称えるということで、高校生が自走し始めることを期待します。ただ、このバランスが難しい。審査員になったり、コメントを付与する側になると、批判的な眼差しをストレートに向けたコメントがしにくいですね。私はそういう物言いになりがちで「答えにくい質問をしてごめんね」と都度謝ってしまうのですが、中にはお茶を濁す発言で終わる方もいますし、特に日々生徒と接するして先生方はその関係性から言いたいことも言えず…と察せます。。。

プロダクトや研究をより良くする批判的な眼差しと、高校生の自己効力感を育む姿勢。このバランスは難しいですね。そして、後者を重視すると「生徒を放っておけばいい。邪魔をしない」となるし(批判的な眼差しを向けて言語化すると、高校生のやる気を削いでしまうという懸念)、前者を重視すると生徒は「失敗しない、できること、結論が出ることをやればよい」となりがちです(調べ学習で止まる探究の根っこはここにありそうな気がします)。

私は他者の批判的な眼差しは大事だと思いつつ、つくられたものには人格が宿るのだから、その取り扱いは慎重になる必要があると思って、生徒と接していますが、生徒側は批判を感情で受け止めることも多々あり、なかなか難しいなぁと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?