写真_2019-08-06_12_55_40

ひどい話を聞いたとき、ものかきは

久しぶりにちょっとひどい話を聞いた。なんだそれ、と思うような。

直接的な被害者がいるものでもないし、善意の第三者(法律的な意味ではなく)が「大変だった」と言ってるだけで実害もない。関係者に疲弊をもたらしてはいたけれど。

だから逆に、ひどい話だと思ってしまう。

まだ実害があれば(あえてそう仮定してるだけで、もちろんないほうがいいけど)、そこにコミットして具体的に何か行動を考えることだってできる。

そういうものでもなく、ただすべて自分の都合と保身1000%で人を動かそうとし、人を利用して何とも思うこともなく去っていく種族の人っているけど、どうしようもない。

信じられないけど、現実にいるのだ。そしてもっと信じられないことに、そういう人がリアルにまさかの「人のことを考えないといけない偉いポジション」についてたりする。

え、あのポジションってそんな人がやってんの? と東京中の鳩が豆鉄砲で振り向くような。

まあ、世の中てそういうものだし、べつにいまに始まった話でもない。それに、そこのひどい内容はこのご時世で大っぴらには書けない。

ものかきはどうするか。義憤に駆られて、そんなのをついったらんどに放流する人もいるかもしれないけど、個人的にはしない。

それをしたところで盛大に燃えるかもしれないし(今回のくだりなんかすぐほいほい燃えると思う)もしも、そんなので何か狙ってる人ならするんだろうけど、それをやってしまったら自分もある意味で同類になる。

それはどうもする気にならない。

じゃあ、どうするのか。そのままを書くのではなく(当事者ではないからそのまま書く資格はない)、違う何かに昇華させて書くしかない。

原形をとどめないほど煮詰めて、その嫌な部分もそうでないものも全部自分で消化もして。嫌なものを自分に入れる作業もしないといけない。自分だってそれをしたかもしれない人間なのだということも呑み込んで。

面倒くさいし、逆にエネルギーを使うのだけど、それがものかきをしてる人間の「仕事」なんだろう。誰かに発注されたわけでも、読み手が待ってるわけでもないけれど書かれることを待っている何か。

べつにそれで溜飲を下げたいわけでもない。ただ、それをしないといけないんだろうなという自分の中の何かが思ってるだけだ。