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満員電車で合唱がはじまる

太古の人々は何かにつけて踊っていた(らしい)。世界各地の部族単位では、喜怒哀楽はもちろん他者や外部とのコミュニケーション手段としての「踊り」がいまでも使われている。

そう考えると「踊る」のは、人間の進化とかとは関係なく切り離せないものなのかもしれない。

そうか。人は根源的に踊る動物なのか。なんでこんなことを考えてしまってるかというと、前に書いたnoteがなぜかいろんな人に読まれたから。

いや、もちろん読んでもらえないより読んでもらえるほうが有り難いのだけど、同時に「ほとんど問い」で終わってるnoteを読んでもらうのって、なんだか心苦しく(これが書籍なら一応、答えまではいかなくても仮説とか、問いを昇華させる何かまで書くんだろうけど、そんな長文はさすがに数十分では書けない)、問いの続きを自分の中で考えてしまった。

で、「人って太古の昔もいまも踊るのは一緒だよな」と、ふと思い浮かんだのだ。

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ただ踊る場所やシチュエーションが違ってるだけで、何かの感情や出来事をみんなと共有したいときに昔の人もいまの僕らも踊る。リアルの祭りも、ネットで踊ることも根源的なところまで辿っていけば元は同じだと考えたら、なんとなく腹落ちした。

だけど、どうせ踊るのなら楽しいほうがいい。鬱屈とした踊りには参加したくない。

そう言えば、以前@NatsukiYasudaさんのツイートでこんなのがあったな。

ウガンダから日本に来た友人が「日本の満員電車びっくり!あんな狭いとこにあの人数…ウガンダ人なら多分皆で歌ってる!」といってて笑った

もちろん、全ウガンダ人のことではないのだろうけど、生きるということに対してそういう心持というかattitudeなんだろうなという気がする。

日本の満員電車みたいな抑圧されたリアルやネットの祭りよりも、なぜか自然に合唱がはじまって電車ごと揺れてるみたいな「踊り方」なら、ちょっと一緒に乗ってみたい。