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家宝を考えること

家宝ってよく考えたらなかなかのパワーワードだなと思う。

自分の宝じゃなく「家の宝」というところがポイントだ。すごく心動かされるものを手に入れたときに「家宝にするよ」と言ったりもする。

みんな自分の中に宝は持ってる。道徳的な意味ではなくリアルに。ひっそりとであったり堂々とであったり、その持ち方はさまざまだと思う。

基本、自分の宝って人に見せたりシェアするものでもない。内面性と結びついた個人的なものだったりするから。

でも「家宝」になるとちょっと違ってくる。これはうちの家宝だね、と家族とかときには第三者にも打ち明けたり存在を共有したりもする。

なんだろう。「家宝」は、ただの自分の宝とも違って、いろんな関係性や時間の旅もその中に内包してる気がする。ただ即物的、あるいは精神的に価値があるというだけではない何か。

ただ大事にするだけでもなく、そのものと一緒にちゃんと守り生きていくような存在。ちょっと何言ってるかわからないけど。

なんでこんな話してるのか。WIREDの記事で「いまこそ家宝を持とう」みたいなのを(個人的な意訳)読んだからだ。


自分にも自分の大切なものたちにとっても大事だから絶対守っていきたい。そう思えるものを持つ。持つと言っても新しく手に入れるだけではなくて、既に自分の周りにあるものでも「家宝」を設定する。

僕の場合なんだろう。人の存在以外で言えば「土」かもしれない。「土」を家宝にしたい。

土があれば何度でも再生できる。こんなことになっていても、ちゃんとした土を守って生きていたい。

大事なもののために希望を持って闘う。闘うって言葉や表現に抵抗ある人もいると思う。けど考えてみれば僕らの免疫だって闘ってるわけだ。だから、明るく健全に闘う。家宝を守るために。自分にできることでね。

みんなが未来は良くなると思って健全に闘えば良くなる。

家宝(果報)は寝て待てではなく、明るく闘って待てなんだよきっと。