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5人の信頼できる読み手

noteで書くとき「5人に届けばいい」と思って書いてる話を前にした。

まあそれはずっと変わらないのだけど、なんで5人なのか。その中に信頼できる読み手の顔を想い浮かべているからだ。

信頼できる読み手とは何か。もちろん定義は人それぞれだと思う。僕の場合はということだけど、大事じゃないけど大事なことを受け取ってくれる人。そういう人を僕の中で勝手に「信頼できる読み手」と思ってる。

大事じゃないけど大事なことって、たしかにあるんだけど「これです」って切り取るのがなかなか難しい。ドーナツの穴だけ相手に渡すのが難しいように。

それでも、どうしようもなく書きたくなったり、ふと気まぐれにだったりで書くのだけど、だいたいそういう記事は基本的に「需要」という点ではそんなにない。端的に読まれにくい。

パッと見はどこにも役に立ちそうな、楽しめそうな、誰かにシェアしたくなる要素はないから。

それでも、そこにある「何か」を感じられて立ち止まる読み手がいる。

うまく言えないのだけど「開いてる」んだ。そういう人って。頭だけで文章を読み取ってない。感性なんてふわっとしたものじゃなく、もっとリアルに生物として開いた感覚を持ってる。

なんだろう。自然の中に自分を置くことができる人。

あ、これは大自然のってことだけじゃなく英語で言うNature、僕らを取り巻く根源的な本質的なものたちと自分を切り離さずにいる人。いつもじゃなくても、ものを書くときそれができる人。

この話をするとどんどん深く逸れてくのでしないのだけど、自然は無秩序に見えてそこにある必然性みたいなのがある。自分を開いてるとそれが見える

それはある種の美しさであり慰めであり、同じ仲間であり、けれどもヒトにはどうすることもできない。一見、大事なものの顔をしていないから。

みたいな話ってそんなに興味持たれないし、そういうものだと思う。だからきょうも5人の信頼できる読み手に書いてるよ。