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1890年と2045年のあなたへ

真実はいつもひとつ! コナン君はいつもそう言ってた。そうか。たしかに原理的にはそうだよなと思う。

ひとりの人間が同時に異なる場所に存在し得ない、という話だ。

ものを書く人間も、一応、そういった前提に基づくというか暗黙の了解の上で文章を書いている。

いまこうやって書いてる文章は、それが「読まれる時点」に常に存在し続けるわけで、まだ読まれてない過去や未来、たとえば1890年3月22日にも2045年3月22日にもこの文章は存在できない。

だけど、本当にそうなのか。

量子力学的な考え方をすれば、ひとつの存在が同時に異なる位相に存在することも「思考実験」としてなくはない。

有名な「二重スリット実験」は一個の電子が同時に二つのスリットを通過して「光は粒子であり同時に波動である」二重性を示した実験(あるいは事件)として有名だけど個人的にはすごく好きだ。

ファンタジーレベルに無理やり持ってくれば、いまこうやって書いてる文章が同時に二つの時空で存在することだってできる。

僕がキーボードに向かってパタパタ打ってる文章が1890年3月22日のリヨンの街角のカフェで誰かの手紙になってるかもしれないし、同時に2045年3月22日の東京駅の月に向かう新幹線乗り場で読まれてるかもしれない。

読んでる人いたら、ありがとう。時空を超えてお礼を言っとく。

だけど、ファンタジーに持っていかなくてもいまの世界は十分、「本当のこと」が同時多発的に現れる。

あれも本当っぽいし、これも本当っぽい。コナン君もワニも黙るしかない。

だけど、意外に真実はなんてこともなかったりする。ただ、なんてこともない真実では人を動かせない。

その件について20世紀の政治家は意外におもしろいことを言ってると思う。

「戦争において真実は非常に貴重である。だから常に嘘による護衛が必要だ」
「嘘が世界を半周したとき、真実はまだズボンを穿こうとしている」


イギリスの首相だったウィンストン・チャーチルの言葉だ。