趣味と言われるとモヤっとするのはなんでだろう?
趣味と呼べるものがない。もう何度か書いてるんだけど。
昔からずっとだ。何かのエントリーシート的なもので「趣味欄」があるといつも固まってた。何も書くことがないのだ。
さすがにもうそんなにあらたまって「趣味ってなんですか?」と聞かれることは少なくなったけど、それでもたまに油断してるとやってくる。
……趣味…。だいたい、そこで微妙な「間」が発生する。答えたくないとかではなく、ほんとに無いのだ。
そこで「いやー、趣味って呼べるものが無くて」みたいに答えると、ほんとうはあるのに勿体ぶってるとか、趣味はあるけど時間を割けないほど忙しいんですけどみたいなマウントになりかねない。そんなつもりはゼロなのに。
だからといって「とくに無いんですよね」だと、あなたと喋りたくないとか、あなたには言うつもりがないみたいな変な空気になる。難しい。
いや、べつに質問の相手は悪くない。深い意味もなく、ただ、このヤギは趣味の話とかしないけど何が趣味なんだろう? と聞いてるだけなのだ。
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もちろん、わかりやすい意味での「仕事」以外で「好きでやってること」「時間を使ってること」はいろいろある。自然栽培で野菜を育てるとか。光と影を愛でることとか。
じゃあ、それが趣味なのかと言われると「んー」となる。少なくとも、相手が聞きたい文脈での趣味ではない。
趣味っていうよりそれも「生きる」の中に入ってるしなぁと考えてしまう。本やnoteだって仕事で読むのから仕事と関係なく読むものまで、たぶんそれなりに時間使ってるけど「趣味は読書です」とはやっぱり言えない。
そんなの日常会話の中でいちいち「深い意味」まで聞きたいわけじゃないんだから、さらっと答えとけばいいじゃんという話なんだと思う。それもわかる。
自分でも面倒くさいなと思う。
面倒くさすぎて、生きてること全部が趣味ですとか禁断の答えを言いそうになるけどそんな恥ずかしいことはやっぱり言えない。
そういう点で(どういう点だろう)、noteでもよく見かける「偏愛」はすごくいいなと思う。誰が何と言おうととにかく深く好きな何か。
何かが偏ってバランスがおかしくなってる状態でバランスが取れてしまってる。そういうのならむしろ積極的に出していきたい。
そうなんだ。「趣味」と言われると、何か当り障りなくなってしまう感じ、自分のものではなくなってしまうのがモヤっとしてたのかもしれない。だからうまく答えられなかったんだろうな。
これからは「趣味ってなんですか?」と聞かれたら「偏愛ですか?」と答える所存です。