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それがあたり前だからと言えるもの

いまは何かにつけて「理由」が必要になる。良いことでも、そうでないことでも。それもちゃんとロジックが通る理由じゃないと、人が納得しないことが多い。

ビジネスの文脈ではなおさらだ。なぜこの企画なのか、この仕様になってるのはなぜなのか等々、そこに合理的な理由がないと話は進まない。

もちろん経済合理性がすべて駄目なわけではなく、それはそれでまったくなければないでおかしなことになる。でも、たまに「そこは理由要る?」と思うこともなくはない。

生きていくのに「理由」は必要だけど、その上で「理由がない」ことにも強く惹かれてしまったりするのも人間だからある。

もちろん、その割合(理由がないことに惹かれる)は人によって違うのだけど、たぶん僕は割と多いんだと思う。自分の思考とか行動に対してもだし、他者の思考や行動とか、プロダクトなんかでも「理由はないけど、それだよなぁ」と妙に納得してしまうことも多い。

プロダクトと言えば『たびくらマガジン』で、ことふりさんがニューヨークの本屋さんBarnes and Nobleをレポートされてて「アメリカの本には、真ん中に糸がついてない」って書かれてて「そういえば日本でも減ってきてるよな」とあらためて思ったり。

本の真ん中の糸とは、こういうやつ。しおり紐。僕らはスピンって呼んでるけど、ハードカバーの本以外、文庫本なんかでは減ってきてる。

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2021年のいま、基本的に新刊でもスピンを付けて文庫本を出してるのは新潮文庫だけだ。

昔から文庫本に慣れ親しんでると、なんとなく他の出版社の文庫本でも付いてるイメージがあるけどやっぱりコストと手間がかかるのでやめてるのが多い。昔、聞いたのではスピンを付けるコストは、だいたい1冊あたり10円前後らしい。本の原価構造からすれば決して安くはないコストだ。

あと、製本工程上での手間もかかる。スピンをわざわざ付けるために本の「天」の部分(本の上部)をあえて断ち落さずに残さないといけない。普通は天と地(本の下部)と小口(背の反対側のページをめくる部分)を3面きれいに断ち落す。

本って1ページずつ印刷してるわけではなく、基本は表裏16ページ分を1枚の紙に印刷する。それを折って、全体のページ数分合わせてから折り曲げて袋になった部分とか、全体を重ねたときに不揃いな部分を断ち落して製本するのだけど、そこがスピンを挟むことで若干面倒になるのだ。

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すごく見づらいけど、右がスピン付きの新潮文庫。左のスピンなしの文庫本に比べると、本の天(上部)がギザギザのままになってる。つまり、折りで重なったときに不揃いになってるのが断ち落されずそのまま残ってる。

このギザギザというかガタガタも新潮文庫の味。べつにだから他の文庫が駄目ってことではなく、そういう「味」を物理的に味わえるのも好きだというだけ。そこにとくに理由はなくて。

そしてもっと「それだよなぁ」と思うのは、新潮文庫がいまもスピンを残してるのは「あえて」とか「他と違うこだわり」というのでもなく「それが新潮文庫のあたり前だから」という理由。

なんか、そういう理由を付けようと思えば付けられるけど(新潮文庫的にもないわけではない)、それが自分のあたり前だからを淡々と持ち続けるのって、やっぱりいいなと思うんだ。