便座をめぐる冒険
尾籠な話。とくに読んで何か得るものがあったり、気分が上がることも下がることもないのだけど、とにかく便座の話。
かつて世の中には、U型とO型ふたつの便座が幅をきかせていた。もしかしたらD型だとかM型の便座もあるかもしれないけど、話がややこしくなるので、ここでは一応このふたつに絞る。
実は、このふたつの便座をめぐる諸問題は、便座史研究家の間でも長年、議論されてきた。
なぜ、そもそも世の中に2種類の便座のかたちが存在したのか? しかもU型は次第にその勢力が衰え、現在は新しく設置される便座はほぼ100%O型になっている。U型とO型の間にいったいどんな熾烈な闘いがあったのか。
まあ、その辺も掘っていくと「へー」な話が(温水洗浄便座の普及だとか、便器そのものの形状進化とか)あるのだけど、そこは置いておいて。
それよりも根本的な問題は『ロシアにおけるニタリノフの便座について』と同様、人はなぜ便座について考え込んでしまうのかというところにある。考えなくてもいいのに。
ほとんどの人にとって日常生活の中で便座について、あらたまって想いを巡らしたり、便座トークをすることってないと思う。なんだろう。便座を語るのに相応しい状況というものがそもそも存在しない。
もし、あるとしたらそれは「便座の上」なんだろう。便座の上で便座について思考する。なんだか故事成語に出てきそうだけど。
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マニアックな専門誌『月刊便座』を紐解くと、世界で最初の水洗便座は、エリザベス1世の廷臣であり詩人・翻訳家でもあったSir John Haringtonによって 1592年(1596年という説もある)に発明されたらしい。
その当時の便座(便器)は、貴族や王室が使うためのもので、その意匠もなんていうのか「ゴージャスな陶磁器」みたいなもの。ロイヤルドルトンだとかウエッジウッドという名だたる陶磁器メーカーが手がけていただけのことはある。なんだか紅茶が飲みたくなるような話だ。
煌びやかな便器たちのグラビア(!)を眺めていても、肝心の便座の姿は見当たらない。蓋のようなものがついてるのもあるけれど、ほとんどがそのまんま。つまり、豪華な壺のように、座るところも蓋もなく気品漂う部屋に鎮座しているのだ。
ただ、これはあくまで撮影用の姿で、実際には蓋が用意されていたようだ。ですよね。
優雅な人々は、ゴージャスな便座の上に座って用を足すだけでなく、物思いに耽ったり、読書をしたり手紙をしたためたりした。
トイレという概念を超えたところにあったのが当時の便座。
で、思うのだけど、これからのトイレはそっちに振ってもいいのかもしれない。天井の高い空間に好きな音楽が流れ、すごく意匠を凝らした便座が置かれ、その周りには植物や書棚もあって、動画も観れたりいつでも好きなときに好きなように過ごせるのだ。もちろん、トイレに行きたくなっても困らない。
トイレ中心設計。くだらない話だって思われそうだし実際くだらない話。
なんでそんなこと考えてるのかって言えば、早くも年末年始仕事進行に呑まれて、便座の上で一瞬、思考をトリップさせるぐらいしかないからなのだけど。
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