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「させていただく」をやめると楽になれる

ここのところ(本当はもう少し以前からだけど)目につく「させていただく」多用し過ぎ問題。

これって言葉を扱う立場からも興味深くて。なんだろう。ちょうど「違和感ある」派と「べつに自然に使ってるし自然に聞こえる」派の中間ぐらいのところに漂ってる感じがして。

「その件についてご説明をさせていただきます」
「ここでは回答を控えさせていただきます」

どっちもオフィシャルな場でよく聞く。

話し言葉だけじゃなくテキスト(主にメール)でも

「後日、詳細をお送りさせていただきます」
「私のほうで担当させていただきます」

みたいな文面を送ったり送られたり。

しかもおもしろいのは意識して使うようになったというより、気づいたら自然にいつの間にか浸透してるところだ。

これも言語学の専門家がいろいろ分析してるけど、肌感覚ではやっぱりネット文化の浸透とどこかで同期してるような気がする(個人の見解)。

2000年代以前はそこまで「させていただきます」は多用されてなかった。

文化庁の「国語分科会」の議事録(たまに読んでる)なんかでも、2005~2006年ぐらいの議論の中で「させていただく」は日本語(尊敬語・謙譲語)としてどこまで許容範囲かが真面目に議論されてる。

たとえば、お店の貼り紙なんかで「本日、臨時休業させていただきます」は一般的にも許容範囲で「この春、大学を卒業させていただきます」なんかは、ちょっと違和感のほうが大きいみたいな話。

何が違和感を生むというか、日本語的に問題を生じさせるのか。

「この春、大学を卒業させていただきます」だと、行為の主体者がいったいどっちなのかが曖昧になるという点。大学を卒業する行為の主体は(たとえ周囲や先生のサポートがあったとしても)あくまで単位を取得して卒論を書いた自分にある。

なのに「卒業させていただく」だと、主体が大学にも自分にもある感じになるから「奇妙」ということなのだ。

とはいえ、2020年代のいまは、もうすっかり「させていただく」がいろんなところに顔を出している。見かけない日はないぐらい。いったい、誰に何の許可を求めてるんだろう。

見方を変えれば、それぐらい行為の主体を曖昧にしないと「いろいろ言われるのが面倒くさい」ことの裏返しかもしれないし「そう言っておけば無難」とナチュラルに設定されるぐらい、全方位に気を使わないと生きづらいのかもしれない。

ただでさえ冗長になりがちな日本語が「させていただく」でさらに冗長になってるし、行き着く先は「そもそも言葉を使うのが面倒」みたいなことになる。それってどうなんだろう。

一応、いろんな意味で言葉を使って生きてる人間としてはなかなか放置できない問題なんだけど、よく考えたら実は「させていただく」を取っ払ってもそんなに困ることはないんじゃないかとも思う。

冒頭の「その件についてご説明をさせていただきます」も、シンプルに「その件についてご説明します」でもべつに違和感ないし、怒られない。

「させていただく」の多用を少しずつ意識的に減らすと、それだけで結構、楽に生きられるかもしれないのでちょっとずつ、そうさせていただきます。

じゃなく、ちょっとずつそうしよう。