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名前も知らない終わりに

きょうも、短い使い道のない話。不意に何かが入り込んでくることについて。

ついこの前、始まったばかりの夏が終わろうとしている。感覚的には梅雨が長かったこともあって、ほんの10日間ぐらいしか夏がなかった感じだ。

いやいや、いったいきみは何を言っておるのかね。きょう浜松で41.1度の国内最高気温に並んだというのに知らないのか? と怪訝な顔をされるかもしれない。夏が終わるどころか、夏ど真ん中じゃないのかと。

たしかにそうかもしれない。暑いは暑い。

涼しそうなイメージのある信州とはいえ、きょうも33度。なのだけど、畑に出ても、あのまとわりつくような夏の感じではなくなってる。

空も夏の紺碧ではない。どこかに帰りたくなるような青さが少しずつ流れ込んできている。

虫たちの音色も少しずつ増えてきた。何かを鎮めるような虫の声。

べつに風流に自然と戯れてるわけじゃない。相変わらずずーーーーっと各種原稿と向き合い続けている。いろいろせねばならぬことも山積みで、どうしたものかだ。

なのに不意に、この「夏が終わる感じ」が僕の中に入り込んで来る。

春から夏になるときも、秋が終わって冬が始まるときも、冬が隠れて春があちらこちらで顔を出し始めるときも、そんなふうに「季節が入り込んで来る」感じになることはないのに。

夏の終わりの感傷的な気分が嫌なのでも、とくに愛でたいのでもない。

ほんとに意識なんてしてないし、そろそろなんだろうかと待ち構えたりもしない。むしろ他の季節のほうが気持ち的に待ち構える。春も夏も冬も。

夏の終わりと秋の入り口だけは、ほんとにいつもどうしようもなく入り込んでくるのだ。

その見えないけれど確かにいる感じは、打ち合わせ終わりにフロアのエレベーターが閉まりそうな瞬間にふっと乗り込んで「一緒に帰りませんか?」と突然言われたあの日の彼女を思い出す。

顔は知ってるぐらいで名前も知らない、一緒に仕事をしたこともなかった写真家の女の子。

彼女は偶然、僕の乗ったエレベーターのドアが閉まりそうな瞬間に乗ってきたのか、何か考えがあってそうしたのか。

答えがわからないまま、エレベーターは1階にストンと着き、僕と名前のない終わりの季節が夜の街に吐き出される。

その日も、不意に夏が終わる感じの夜だったことだけは覚えているのだけど。