最短を卒業しようと思う
いろんな考え方やスタイルがある。自分はそうしようかなという個人的な話。どれが正解とも思わないし誰かに押し付けるつもりもない。
仕事してると、たまに「最短でお願いできませんか?」の依頼がある。取材や原稿アップだったり、構成や企画案出しだったり。基本的には書籍なので短くても半年~1年ぐらいのタームなのだけど、それより短いやつ。
それぞれにもちろんスケジュールだとか制作工程や関係者の事情があって「結果的」に、最短で詰めてやるしかないという状況。そんなの僕らの業界に限らず、どこの世界でもありふれた話。
そこをなんとかするのも仕事だし、そのためにそれぞれのプロが存在する。
実際、僕も何冊もそうやって「最短で」の仕事をして、なんとか無事に送り出してきた。
1か月ちょっとで3冊の単行本の原稿をアップしたこともある。べつに凄くもない。毎日ほんとに休まず朝から晩まで書けばそれぐらいはできる。文字起こししたり、構成も同時並行で手を入れたりしながらだから、純粋に原稿書くだけならもっと早くできる。
やれって言われてやるものでもなく、自分でやるしかないからやるのだけど。
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ただ、ふと思う。それって生き物としてどうなんだろうか。お互いにね。
いろんな前提をすっ飛ばせばたいていのことは「最短で」やろうと思えばやれる。それしか考えず、自分のリソース(時間や精神や呼吸も含めて)を全集中させれば。
極端なこと言ってるように思えるかもしれないけど、それぐらいの感覚はセットする。じゃなければ、やっぱり人間だから他のいろんなことに絡み取られて最短ではなくなってしまうから。
で、そうやって最短でアウトプットができて、まあクオリティも基準ラインがちゃんとクリアできたからいまも仕事してる。
ただ、その最短は自分の時間や精神や呼吸以外のものも削っていく。
だいたいそうやって最短でやった仕事やそのための時間は、ほぼ記憶にない。
いやほんと笑うぐらいにスコンと記憶から欠落してる。季節が飛んでてびっくりする。なぜなら、それをやってる間、ほぼ「人間としての感覚」をオフにしてるからだ。
わき目も振らずだから「いいこと」なのかもしれないけど、それなら人間がやらなくてもいいかもしれない。
ロボット(ソフトウェア的なのも)なら原理的には常に処理スペックの限界まで作業してくれるし、機会費用も最小化できる(導入コストは無視してるけど)。
そう考えると最短でやること、ロボットみたいに心を無にして働くのを自分でやってしまうのはおかしな話なのかもしれない。一般論で「AIに人間の仕事が奪われる」というのがあるけど、逆じゃないのか。人間がAIの仕事を奪ってる。
僕なんてAIとしてのスペックはひどいものなので、やはりそこはAIの仕事じゃなく無駄の多い「人間の仕事」をやったほうがいいんだろう。
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それでも「最短でお願いできませんか?」を頼む側には、最短で成果が得られるベネフィットがあるし、そういう需要があるんだから問題ないんじゃないかい? という考え方だってある。
まあそれもわかる。けど、人間の感覚をほぼオフにしてつくられたものが、ほんとに「誰か」の気持ちの深いところまで入って大切にされるんだろうか。わからない。
一瞬だけ何かになるものならそれでもいい。でも、ずっと存在させたいもの、ときには思い出してもらいたいものなら「最短で」は何か違う。
リリースされて一瞬で目的は果たし「最短で」終末を迎えるのはたしかに効率いいけど、何も共有できないし残らないよね。