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正しい世界へようこそ

そうか。リアルとネットが入れ替わり始めてるのか。

あるいはリアルとネットの境界が溶けて混じり合ってる。そんなの、いまに始まった話でもないじゃんって思いそうだけど、今回はちょっと違う。

何が違うかといえば、これまでは結果的にそうなってたのが(そうじゃないのも、もちろんある)、結構、意識的に「入れ替え」が始まってるという部分。

もう「リアル」は捨てて「ネット」のほうをリアルにしようという強い意思を感じる動きが出てきてる。これも僕みたいなヤギでもそう感じてるぐらいだから、noteの街の人には「いまごろ何言ってるんだろ」かもしれない。

まあ、リアルがこんなことになってしまって、それ以前の世界がget backされることはないだろうってなってきてるから仕方ない。

いろんなものが詰まったデジタルな証明書を持ち歩かないと、リアル世界のあれこれが制限されたり、ネット世界でもいろんなサービスが受けられなかったり、あるいは受けられるサービスに差がつく。

リアルとネットが入れ替わった世界で快適に生きていくためには、新しい「ネットがリアル」でのレイテンシーを回避できるスペックを身に付けなくてはいけない。

なにしろ「ネットがリアル」世界では、無駄なものは無駄でしかなく、リアルがリアル世界だったときには(ややこしいな)適当とか、よくわからないけどいいんじゃないで済んでたことが済まなくなるから。

またちょっと何言ってるかわからないってなりそうだけど、端的に言えばリアルとネットが入れ替わった世界には「意味」しか存在し得ないからだ。

わかりやすい例をあげると、リアルがリアルだった世界では、人と会っていてお互いとくに何もしゃべらず「ぼーっと」何かを見るでもなく見るとか、そういう時間が存在した。

だけど「ネットがリアル」世界、画面越しではそれは無理。放送事故みたいになってしまう。新しいリアルでは「意味」のない時間は必要なくなる。

Zoomなんかを繋いでるのに「ぼーっと」してたら、その人は「やべぇ奴」になるから気を付つけないと。

まあ、そうでなくても新しいネットのリアルでは、あいまいなものとか、無くしても成立するものはさっさと片づけられて「便利」に「使いやすく」なっていくのだ。

noteだって、PC版の新しいタイムラインは、これまでの「無駄にひとつの記事が大きなスペースを占めてた」のがカイゼンされて「ひと目で多くの記事が目に入る」ようになる。


リアルとネットが入れ替わった世界では、こっちのほうが正しい。たぶん。

みんな大好きデイリーポータルでもコンテンツエリアの上部に「今日の見どころ」という、担当者のその日のわりとどうでもいいことを書いてたのだけど、廃止された。


そんなもん要らんから無駄にスペース使わずにコンテンツに使ったほうがいいという判断らしい。確かにスマホとかで見たらファーストビューがほぼ「どうでもいいこと」で占められてたらサイトの意味と意義が問われる。これも正しい。

リアルとネットが入れ替わった世界では、これからも「正しい」ものだけが残っていくんだろう。それは正しいのだから、そのうち何も思わなくなる。

けど、ほのかにディストピア感が漂う気もしないでもないのはなんでなんだろう。