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人として話せるかどうか

たまに書いてるけど、僕は基本的に人見知り属性だと思う。ライターなのに。

どっちかと言えば、人の中にいるより山の中とか畑で樹々や野菜たちに囲まれていたい。

それなのになんでライターをやれてるのか。

端的には「ライターという設定」があるからだ。これもそこだけ切り取ると誤解を招く。そんな軽くやってるのかと。

もちろんそうではない。まあ、誰も興味ない話なので端折るけど、ちゃんと成立させるにはそれなりのマインドセットと技術がいる。そんなのどんな職業でも当たり前だと思う。

もう少し解像度を高くして突き詰めると、人見知りだけど「人」という生き物は嫌いではないからかもしれない。

そういう意味では、いろんな「人」の「人としての話」を聞かせてもらうのはすごく好きだ。それを文章に翻訳できたときは嬉しい。

人としての話って何なのか。

これも表現が難しいのだけど、そのまま通じる人には変に言い換えないほうが通じるので、いつもそう言ってる。

その人のポジショントークとか役割とかと異なるレイヤーに流れる話。。

自分でもふしぎなんだけど、人として話せる相手なら相手がどんなクラスの人でも気にならない。人見知りも発動しない。

権力を纏った政治家、世界中飛び回ってる経営者、売れっ子の俳優さん、毎日酵母と暮らしてるパン職人さん。どんな世界の人であれ「人」として話せる人とは対話したいし言葉を紡ぎたい。

まあでも、なかなかそんなふうにはいかない。どうしたって「人」としての部分よりも、属性や役割、求められる価値の部分での話が前に出てくる。

そもそも相手が「人として」ちゃんとすごい人物であるほど、こっちも人としてどうかを見られるし問われる。

僕がいくら人としてその人と話したくても、こっちが相手にとって「人」としてとくに魅力もなにもなければ始まらないのだ。

そう考えると、結局、どう書くかはどう生きるかでしかないんだ。