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他者への誠実な関心について

難しいなと思う。他者に関心を持つことが。みんなどうやってるんだろう。今日も短い戯言。

そこそこ大人になってからも、社会人のカテゴリに属するようになってからも長くなるけどいまだに正解はよくわからない。

まあ、編集とかライティングの仕事をしてるのだから、他者に関心を持つ前提がなければおかしな話なんだけど。

前提をひっくり返すようなことを言うと、自分という人間の根源的なところを見つめたとき、そこまで他者に関心がないのかもしれない。前提どころか、いろんなものがひっくり返る音が聞こえてきそうだ。

いや、人間嫌いとかじゃない。むしろ「人間」とか「生きること」にはわりと関心がある。というかいつも考えてる。

のだけど「他者」がどうしてるからとか、そういう意味での関心があまりないのだ。他者評価しててもしてなくても、好きなものは好きだし、そうでもないものはそうでもない。

だからって自分の好きが絶対だとも思わないし、世の中はいろんな種類の好きやそうでもないで成り立ってる。それはすごく思う。

いろんな人や事象を深いところで取材してると(そういうのは取材というより対話に近くなる)、ほんとに人っていろいろだなと思うことばかりだ。多様性なんて今さらのように言わなくても、もとから人は多様性を呼吸してる。

そう。だから「他者」にはあまり関心ないけれど「人間」には関心ある。

またちょっとわからないこと言ってる。伝わるとうれしいけど。

なんだろう。言い換えると「人間」に誠実な関心を持っていたいんだ。だからnoteのスキだって、ほんとに何か動かされたときに押したいしコメントもしたい。

そのときの感覚って「誰か」にではなく「大事な人間」のあなたにだから。