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オンラインの旅に何か足りない

鉄道が好きだ。わりと長時間、とくに目的もなくても列車に乗ってるのは平気。

マニアかと言われるとちょっと違う。線路の上を「移動する人生」が好きなのだ。またちょっとよくわからないこと言ってる。

魂が暫定的な場所に棚上げされながらガタゴト移動してる感覚。

「あの時間」って自分はどこにいるんだろうと思う。いや、それは車両の中にいるんだけどさ。そういうことじゃなくて。

もちろん通勤でとか、仕事でどこかに時間どおりに着くように向かわないといけないとか、そういうときの移動ではない。そっちの移動は、魂的にはほぼ「無」に近い。

どこかには向かってるのだけど、どこにも向かってないようなあの感覚――。

鉄道に限って言えば、昔と今はすごく環境が違ってきている。

昔は無駄に長い距離を走る鈍行が走っていた。朝5時台に始発駅を出て終着駅に着くのが深夜23時台。嘘だろ? と思うような経済合理性を無視した乗り物。飛行機なら南米でも行けそうな移動だ。

さすがに、そこまで長距離長時間の鈍行に乗ったことはないけど「青春18きっぷ」には結構お世話になって、まあまあ長い距離を鈍行でどこまでも乗り継いだりはよくしていた。

どんなに長く列車に揺られても、一応終着駅に着く。人生の終わりがいつか来るように。それはわかってるけど今ではない。その感覚が体感できる鉄道での移動って人生だよなぁと思う。

見知らぬ土地の見知らぬ駅に停まるたびに、見知らぬ人たちのそれぞれの暮らしが乗り降りしていく。群像劇を観てるみたいな感じがしたこともある。

今の日常的な移動ではいろんな意味でスピードが速くて、そんなこと感じる時間も隙間もない。

もう、そんなふうに人生を乗せて走る鈍行列車はほとんどない。鉄道会社も乗客も非効率だし、そもそも意味がわからない。

目的地にできるだけ速く快適に到着するほうが必要とされてるからだ。

この場合の快適とは、人生を楽しむというより移動しながらネットに繋がって快適に動画が観れたり、立ち寄りスポットが探せたり、SNSや仕事が捗ることを指すのだろう。

そして鉄道の旅から人生がなくなっていく。

今は禍で、そもそも旅自体が息をしにくいのだけど、オンラインの旅にはあの暫定的な時間が見つからない。


※昔のnoteのリライト再放送です