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生ぬるい食堂さえ恋しい

この短い夏のあいだに何回、口にしただろう。

暑いねという言葉。べつに「暑い」と言ったところで過ごしやすくなるわけでも、白くまが氷を運んで来てくれるわけでもないのだけれど、申し合わせたようにみんなが口にする。

この暑さの半分でもいいから冬に取って置くことができればいいのにね、と近所のおばあさんが言う。たぶん、みんな思ってる。真冬に氷点下15度とかになる日に、この暑さを半分ぐらい溶かして混ぜたい。

昼間でも氷点下の日に「暑い」と書かれた箱を玉手箱のように開けるのだ。

そんなことを考えるぐらいだから、暑いのがすごく嫌いなのかというと、そうでもない。暑くなければ味わえない空気もある。

道路に面した入り口は開け放たれていた。オープンな店のそれではなく、単純に暑いからである。

店内には不思議な箱状の業務用扇風機らしきもの(ぬるい風が出ていたので扇風機なのだろう)が鎮座していて、エアコンなどないが、店の入り口と裏の庭園に面した古びた木枠の窓を開けておけば風が通る。それで充分だ。

昭和7年(!)に創業し空襲でも奇跡的に焼け残ったという食堂は、特にその歴史を自慢するでもなく、21世紀のいまも淡々と営業している。

メニューはあるようでない。店を切り盛りする親爺さんとおっかさんは、ガラスケースに入ったおかずの中から食べたいものを言ってくれたらご飯と一緒にテーブルに持っていってあげるからねと言う。謎のシステム。

それより謎なのは、どのおかずも値段が不明(ガラスケースには器に盛られたおかずだけが適当に並んでる)なことだけれど、どれも美味しそうなので、ここではみんな気にしていない。

いかにも食堂マニアな客が親爺さん、おっかさんと記念写真を撮ったり、居合わせた他の客が「シャッター押しましょう」と言ったりしてるのを眺めながら食べる。

なんだろう、このチルアウトしそうな時間。

食道には何の音楽も流れていないし、ただ夏の昼下がり特有の気怠い空気が流れるだけなのだけど、居心地は決して悪くない。むしろ落ち着く。生ぬるい暑ささえ味わえる。

突然、カジュアルな感じで短パン姿の外人さんが店に飛び込んできて「Two beer to go」とオーダーする。近所に住んでるのだろうか。

親爺さん、おっかさんは一瞬ふたりで顔を見合わせ、そこらにあった紙に金額を書いて外人さんに示し、売ってあげたりしている。ここ酒屋じゃなくて食堂だけど、そういう固いことは言わないのだ。

瓶ビールを2本、店の奥から探してきたレジ袋に入れて外人さんに持たせながら親爺さんは笑顔で「サンキュー」と言い、外人さんは日本人みたいに二度ほど頭を下げて出て行く。

そのあとでおっかさんが、瓶ビールの栓をどうやって開けるかしらねと気にしているが、親爺さんは「歯で開けんだろ」とか言ってテーブルで夕刊を読み始める。

最近の東京はなかなか落ち着けないけれど、こういう下町の食堂の居心地は嫌いじゃない。むしろ、変に小洒落たデザインしました感が迫って来る店より和む。

多様性なんてワードがなくても、多様性ってこういうのもだよなと思える。そんな中にしれっと混じって食べる煮魚は少し味が濃いけれど。


※昔のnoteのリライト再放送です