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夜の終わりに考えるようなこと

これはただの戯言。本気で読むようなものでもない。

どうやらたいていの物事は波のように、引いたり押し寄せたりをくり返すらしい。

まあそうだろうなという気はする。のだけれど、いまが引いてるのか押し寄せているのかわかるようでわからない。定量的なデータでもあればいいけれど、そういうものもありそうでない。

たとえば、シェアからクローズドへ。この10年ぐらいシェアの波が押し寄せていた。でもそのまますべてがシェアされ尽くすかというと、そうとも思えなくて。

シェアされすぎることの弊害もある。届かなくてもいいところにまで届いてしまう問題。本来、ひっそりと好きな人たちだけが楽しんでいたものが、そうではなくなって変質してしまう。

一種のジェントリフィケーションが起こる。見た目にはヒトやモノ、お金が動いて賑やかになるのでいいことのように見える。その中では失われてしまうものに目や心を向ける人は少ない。

2020年になっていろんなことがあって、今も現在進行形で続いている。

どうやら、そういうものとして「見えない姿」を見続けることになるんだろう。べつに誰のせいでもなく。

現実問題として大きくシェアすることが難しいことも増えた。それはある人には苦しみであり、ある人には逆に救いになることもあるかもしれない。いい悪いの問題ではなく。

すごく流行るものはすごく廃る。
すごく流行らないものはすごく廃らない。

沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。
徒然草第百五十五段

なんとなくいま、そんなことをぼんやり思う。夜の終わりの思考に過ぎないのはわかっているのだけれど。