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年末にこころの換気が必要かもしれない

思い違いをしていた。たぶん常識なんだろうけど、漠然と間違った認識をしていた。

何のことかと言えば「一酸化炭素」。よくニュースなんかで「一酸化炭素中毒」が記事で流れたりする。中毒っていうぐらいだから、一酸化炭素そのものも、なんとなくガスの匂いみたいに嫌な匂いがしそうなイメージを持ってた。

だけど、実際には一酸化炭素そのものは通常は無味・無臭。空気とほぼ同じ比重だから、ある空間で気付かないうちに一酸化炭素濃度が高まってしまうことが起こってしまう。

で、一酸化炭素は人間の体内で全身に酸素を運ぶ血液中のヘモグロビンと結びつきやすく(酸素の200倍以上も!)、一酸化炭素が体内に取り込まれると、ヘモグロビンが酸素を運ぶ機能が急激に低下。そのために酸欠状態になるというメカニズムらしい。

みんなは知ってるんだろうか。僕はちゃんとそのメカニズムを知らなかった。恥ずかしい。

わりといい大人だけど、そういう漠然とした思い違いってある。その代り、気づいたら「そうなんだ」で終わらせずに、ある程度掘って調べるのだけど。まあ、これはライターという仕事柄かもしれない。

基本的に世の中は知らないことだらけだ。

知らないというか、わりとずっと考え続けてるテーマのひとつに「こころ」がある。

まあ、なんとなくほとんどの人が「こころ」の存在ってあるんだろうなと、それこそこころの片隅で感じつつ、リアルワールドではあまり表に出さない。

というか、こころってそもそも何なのか、どこにあるのかもわかるようでわからないから。

感情がいちばん近い気もするけど、感情も変化するし「感情的に」を「こころ的に」に置き換えても、なんだかしっくりこない。

こころって何だろうね。

「こころの、きれいな人」とか「こころが疲れた」って言うけど「感情のきれいな人」「感情が疲れた」もあまり言わない。感情が忙しいことはあるけど。

と考えると、どうやら「こころ」は身体の器官とか、精神的なのとか神経物質でもなく、人間そのものなのかもしれない。

「こころから思った」瞬間みたいなのも、自分の全存在がそう思ったという感覚だし。

だから何なんだって話だけど、ほら、こういう1年だったし、いまもいろいろあるし「こころ」がどっか行ったり、疲れたり。

なんかちょっとこころが重たかったり、そういうのでこころに酸素が行き渡らなくならないためにもリアル換気だけじゃなく、こころの換気も必要な気がしてる。

何だよそれって声が聞こえてきそうだけど、その問題にちゃんと集中しないといけないときほど、そこばかり見ないほうがいいときもある。

気分転換ともちょっと違う。こころを全呼吸させるような感覚のことをあえてするのもこころの換気になる。こころから浸る何か。

知らず知らず息苦しいのは自分も周りもきつくなるから。