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隙間がなくなるとあぶない話

隙間がないなぁと思う。余白と言ってもいいけど。

あ、べつに「隙間論」とかじゃないよ。土曜日だし、夏はすぐ逃げていくしそんな難しいこと考えたくないと思うし。

なんだろう。まあ、無駄な隙間はいらないっていう考え方というか、システムで生きていくにはそのほうがいいのもわかる。意味のある分子を増やすか、意味のない分母を減らして生きる。

本来、隙間とつながってたコンテンツも、いつの間にか隙間を全部埋めていくようになってる。テレビ(ほとんど観ないけど)のドラマやドキュメンタリーとかYouTubeの構成も、昔より確実に隙間を減らしてる。というか、ほぼない。

隙間があると視聴者に離脱されるから。だいたい、いまそういうコンテンツに関わってる人の話を聞くとそんなふうに言われる。まあ、そうだろうなと思う。

テレビをリアルタイムで観るのを除けば、流れてくるコンテンツは1.5倍速で消化していく人も結構多い。そうなったら、いったい僕らは何を観てるんだろう。よくわからない。

映像系のコンテンツの話をしたけどテキストのメディアだって同じだ。

いま、文章は「見られる」けど、ちゃんと読まれるってことはすごく少ない。ネットメディアに流れるものはとくに。noteはまだ「ちゃんと読む」意識があるほうだと思うけど、それでもうっかりすると目が滑る。

そこも考えて、読まれるというより「見やすい」ように、スクロールとかスワイプに耐えられるように「結果的に隙間がなく見える」構造でテキストをつくらないといけない。

だから、たぶん僕なんかの書く日常と非日常の「隙間」みたいなところに浮かんでるタイプのコンテンツ(という言い方似合わないな)は不利だ。わかってるけど。

なぜなら、読む人も隙間で読むというか、隙間で考えたり自分の中に何か浮かんだりする構造で書いてるから。

隙間を持ちたくない人には好まれないこと山の如しである。

それでも僕はそういうのをときどき書く。何の使命感なのか。嘘です。使命感なんて何もないけど、そういう隙間があるものの気配を感じて生きてたいから。

ただそれだけ。

もうちょっとだけ言えば、隙間って「自分だけで考える時間」でもある。いまのコンテンツは、できるだけ「考えないでいい」「考えさせない」ようにつくられてる。そのほうが「見られる」のでそうなる。

でも、考えないでいい、考えさせないの中にずっといると気を付けないと、考えないといけないときに「考えられない」人になってしまう。誰かに何か言ってもらって、それを受け入れるほうが楽になる。

べつにそれでもいい。ただ、あぶないなと思うのは、考えないが基本になってしまって自分で考えて行動してる人のほうに違和感を持つこと。

それはちょっと変だなと思うんだ。

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村暮らしのライター/エディター Editing and Book Writing/人とことばと土を耕して生きてます。東京⇄信州。noteでは大事じゃないけど大事なことを。何をしてるかより「なぜしてるか」の深い話を聞いて書くひと→ https://fumigura.com/

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