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なぜネット世界だと人は親切になれるのか

SNSは親切の可視化ツールという説がある。

そんな説あったっけ? と思われるかもしれないけど深く考えなくて大丈夫。いま僕がつくった。

それはともかく、リアル世界は何かと世知辛いとか、人と人の深い部分のコミュニケーションが失われてるとか言われてる。だけど人間の本質はそんなには変わらない。

たとえば、人に親切にするというのもそうかもしれない。

人は基本、誰かに親切にされると好意的に感じるし、誰かに親切にしたくなる。のだけどリアル世界では「困ってる風の人」を見かけてもなかなか関わるのは難しい。いろんな意味で。

シチュエーションによっては通報事案になりかねないし、なにしろこのご時世だし。

その代わりなのかSNSとかネット世界で困ってる人を助けたり、自分が何かで助けられたりというのはまあまあある気がする。

ある意味、ネット世界は親切にあふれてる。そんなことない、ネット世界だって世知辛いよってことも時と場合によってはあるかもしれないけど、それでも親切はゼロではない。

なぜ、ネット世界だと人はわりと親切に振る舞いやすいのか。

実は、あまり知られてないけど、ネットで誰かに親切にすると回線速度が上がったり、スマホならギガ制限がまろやかになる。ことはないのだけど、ネットだと相対的に誰かに親切にしやすい。

社会心理学で「傍観者効果」と呼ばれるものがある。

何となく「困ってる風」の人を見かけても、周りに他者(傍観者)の数が多いほど、自分が積極的に介入することはなく自らも傍観者になりがちという集団心理。

もちろん、明らかな緊急事態だと話は違う。そうでもなく、なんとなく「困ってるのかな、でも誰もそんなに困ってるふうに捉えてる人いないしな」ぐらいの状況。

僕だって、そういうシチュエーションに遭遇したら正直判断に迷う。

それがネット世界では、それほど深刻ではないけどちょっと困ってる風ぐらいのことでも「困ってる」表明がしやすい。“緩募”“ゆる募”なんてまさに。

もちろんガチで困ってるときもそれはそれで投げかければ、だいたい親切な誰かが何か反応してくれる。その人が答えを持ってなくても拡散してくれて、そこから答えがどんぶらことやって来ることも少なくない。

ネット世界ではなぜか人は傍観者になりにくいのだ。

リアル世界と同じく、自分以外の不特定多数の他者は行き交ってるはずなのに、なぜか自分にできることがささやかでもあれば、何か手を差し出したくなる。

だからって、みんながみんなそうしなくちゃいけないのでもなく、見守るだけでもいいと思う。変に否定したり揶揄したりしないだけでも。

そしてネット世界でも誰かに親切にしてもらった経験があると、また今度は自分が誰かに(ほとんど無意識に)親切にするときがくるから。

そんな世界が「ある」と感じられるだけで、どんな“ムーブメント”より人は自然に善き存在になれそうな気がする。少なくとも「ある」と感じられる自分でいたいとは思う。