見出し画像

小さきことのために

本当は、みんなそれぞれの日常にあったと思う。小さな、ささやかだけれど大事なことが。

だけど、いまはそれが難しかったりする。仕方ないこともわかってる。

慣れた部分もあるし、慣れないものをなんとか呑み込んでる部分もある。まあ、それも人それぞれだ。

だけど、ひとつだけ慣れないのは「小さなこと」より「大きなこと」のほうがあたり前に大事だという価値観と行動。

社会全体の福祉とかそういう次元ではなく(そっちはもちろん重要)、個の小さきささやかなしあわせなんか目に入らない、想像もしない世界への違和感。

まあ、こんなことここで僕が書いたって仕方ないのだけど。

ビジネス(企業と企業もそうだし、企業と国や組織も含めて)は、ときに「小さなこと」より「大きなこと」があたり前に優先される。

僕だってそういう世界の端っこにいたから、そういうものだってのはわかってる。大きな話になればなるほど、相対的に「個」は消えるのだ。ふしぎなことに、そこに関わってる人たちからも「個」が消えていく。

個が消えた人たちにとっては、大きな数字だけがリアルだ。その数字のためにものごとも人も動いていく。

そして、そこに少し「人間っぽい、それっぽい感動的な衣装」を着せる広告代理店やメディアの仕事もある。もちろん、それも「仕事」だ。

だけど、本当は個々の小さきことだって大事なのにかわりはない。スケールや数字では測れない大切なもの。

できれば、こうやってものを書く、文章を書くのも「大きなもの」のためではなく「小さきもの」のために書きたい。個人的には。

大きな船が港に入るのに視界に入らないからと、小さきしあわせを載せた小舟をひっくり返していいはずはない。